59.安芸国  広島県安芸郡府中町  JR山陽本線広島駅  2004.08.01



安芸国に伝わる古文書に田所文書という書物がある。広島県の重要文化財である。鎌倉前期の行政文書で、当時の国衙領や荘園の様子がわかる貴重なものだ。これによって、古代から連綿として安芸国府の枢要にかかわってきた田所氏の系譜や、古代の安芸国府をかいま見ることも出来る。田所氏は阿岐国造家であった佐伯氏の末裔で、安芸国府の在庁官人として、主として田畑の管理に携わり、後には職名を苗字とし、この地域を実質的に支配していた。


安芸国府


安芸国府は現在の広島県安芸郡府中町にあった。最初は、西条に置かれたらしい。安芸国分寺の跡が西条にあるからであり、この西条国府から今の府中町へ移転したらしいのだ。10世紀に成立した古辞書倭名類聚抄には、安芸国府は安芸郡に在りと書かれているので、平安前期には府中町へ移転したものと思われる。

下の図は安芸国府の推定図である。この地は西に向かって開いている。従って安芸国府も西に向かって朱雀大路が走っていたのであろう。ちょうど図の中央に国庁屋敷と見えるが、現在は田所明神社があり、田所家が現存する。まっすぐ東に上ると明治まで続いていた惣社の跡がある。

安芸国は大国だが、この地はどう見ても四町四方しかとれない。四町は430メートルだ。大国の国府としては、いささか狭い感もする。また、方格地割も見られず、律令期の国府の形態からはかなりはずれている。この時期はすでに国司の兼任遙任が始まり、国守が都から離れず、在庁官人に実質的行政権が移りつつあった時期で、田所氏のような地元の有力豪族が、自分たちの勢力圏へ国府を移したとも考えられるのだ。


安芸国府推定図
図は左が北、下が西である。
国府域四隅のABCD地点には、それぞれ小さな祠が残っている。


田所明神社
国庁屋敷の跡と言われており、
平安時代の安芸国府はここにあったらしい。
田所名水
神社の横にきれいな清水が湧き出ている。


田所恒之輔氏
古代から連綿と続く田所家の当主。田所明神社宮司。
貴重な資料やお話をうかがった。厳島神社の勅使代上卿でもある。


安芸惣社(多家神社)


安芸惣社は多家神社に合祀されている。安芸国は不思議な国で、延喜式に載せられたいわゆる式内社は、わずか3社しかない。薩摩,志摩が2社、長門が3社だが、全国でも式内社の最も少ない国のひとつだ。しかし、厳島神社、速谷神社、多家神社の式内3社はいずれも明神大社だ。東隣の備後には17の式内社があるけれども、明神大社はゼロ。西隣の周防でも8社の式内社中で大社はゼロ。いかに安芸国の式内社が少数精鋭かが、おわかりになるだろう。

さてその多家神社だが、古代に埃宮(えのみや)とも呼ばれ、延喜式に名神大社とされた由緒ある神社だが、中世には忽然と消えてしまうのだ。名神大社多家神社を巡って北の惣社、南の松崎八幡宮とが互いに埃宮はこちらだと争ったが、明治まで決着がつかず、明治6年(1873)、時の政府は両社を同時に廃し、この地へ多家神社として新しく創立した。後日の争いを無くすため、惣社と八幡宮に伝わった古文書類を、すべて焼却したという。ずいぶん乱暴な処置である。


安芸惣社跡
明治6年までこの地に惣社があった。
惣社会館
惣社の跡に建てられた公民館。


多家神社拝殿
祭神は神武天皇、安芸津彦命。
本殿
安芸惣社と松崎八幡宮を合祀する。


安芸国分寺


安芸国分寺は東広島市西条にある。最初の安芸国府は西条に営まれたとする説が通説だが、未だその遺構は発掘されていない。ただ安芸国分寺がこの地に法灯を保っているのが、唯一の証である。延喜式の寺料は3万束で、大国にふさわしい規模であった。寺域は東西が212M、南北が130Mと推定されている。

現国分寺は金岳山常光院と称し、真言宗に属している。ほぼ古代の国分寺の寺域に重なって、仁王門、鐘楼、金堂が建っている。

仁王門
仁王像
鎌倉期の像だという。


南門跡
仁王門の近くに南門の遺構が発掘された。
中門跡
中門跡には鐘楼が建っている。


金堂復元図
東西七間(28M)、南北四間(15M)の建物だったと推定されている。 (東広島市教育委員会)


金堂基壇
古代の金堂基壇を一段だけ復元している。
軒丸瓦
発掘された軒丸瓦。


七重塔跡
七重塔跡は、境内から少し離れている。
見のがしてしまいそうだ。
塔の礎石
昭和七年(1932)に発掘された。
17個の礎石が残され、上部が赤く変色
していることから、火災で焼失したらしい。


塔の心礎
表面が赤く変色している。相当な高熱で焼かれたと思われる。


本堂
古代の寺の金堂の基壇上に本堂が
新しく建てられていた。
不動堂
不動明王を祀る不動堂。
今では、真言密教の護摩壇がある。


不動明王像 十王像と不動明王像


酒の町西条


西条市は酒の町だ。JR西条駅の近くには、賀茂鶴酒造をはじめ、酒造会社が軒を並べている。

賀茂鶴本社
白い壁が印象的だ。
文人達の酒賛歌
水上勉、草野心平、池波正太郎などの
酒賛歌が並んでいる。

私は酒を飲み出すと、出てくる料理を片っ端から平らげる。酒を飲み出すと何でも美味しく食べられるが、美味いものがたくさん出た方がいい。その点甚だ野暮ったい酒飲みである。  井上靖

サカナは何でなければ、、、、というようなのは真の酒徒ではない。ひとつまみの塩でよし、味噌でよし、バター、チーズでもよい。ほんの少々舌にのせるだけで酒の味はぐっと活きる。山岡荘八


厳島神社(安芸一之宮)

安芸一之宮は日本三景で有名な厳島神社である。

創建は推古天皇元年(593)に遡る。のち平安朝に入り、安芸守に任官した平清盛の尊崇を受け、仁安三年(1186)現在の規模に造営した。現在の社殿は仁治二年(1241)に建立されたもので、本殿以下すべての社殿は、国宝または重要文化財であり、平成八年(1996)には世界文化遺産にも登録された。

祭神は、田心姫たごりひめ命、市杵島姫いちきしまひめ命、湍津姫たきつひめの三柱。いわゆる宗像三女神である。社格は高く、延喜式では名神大社に列し、後白河法皇、高倉上皇、平清盛、足利義満、豊臣秀吉などが参詣に訪れている。

ガイドブックには書いていないが、必ず満潮の時を狙って行くこと。干潮で海水が引いてしまって地肌が見えている宮島は、何とも殺風景だ。私は知らずに干潮時に行ったので、4時間ほど時間をつぶして、もう一度行ってみた。小潮ではあったが、海に浮かぶ朱塗りの神殿は独特の美しさだ。宮島を訪れる時は、潮の満ち干きを調べてから行かれることをお勧めする。


厳島神社
大鳥居から神社を望む。


大鳥居
楠の自然木を使った四脚の鳥居
回廊入口に立つ筆者
この回廊も国宝である。朱塗りの柱が美しい


厳島神社本殿
田心姫たごりひめ市杵島姫いちきしまひめ湍津姫たきつひめの宗像三女神を祭る。今日は七五三のお詣り。


西回廊
満ちてきた海の水に映えて美しい。
西回廊から五重塔を望む
この塔もなぜか厳島神社の付属建物だ。


平舞台
2004年9月7日の台風18号で、
大きな被害が出た。
能舞台
檜皮葺の屋根、床などが被害を受けた。


修理に大わらわ
回廊は修復したものの、祓殿や舞台は被害が大きく、2004年11月6日に訪れた時は
職人がたくさん入っていて、修復に大わらわだった。完全に復旧するのは2年間はかか
るだろうと言われている。

安芸国地図その1

安芸国地図その2


富士山
帰りの飛行機の上から。台風10号の
雲海が広がっていた。


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