63.阿波国 徳島県徳島市国府町府中 JR徳島線府中駅 2005.01.23
阿波国は忌部氏が開いた国とされる。忌部は斎部とも書くがいずれもインベと読んで、同一氏族とされる。忌部氏は天太玉命の末といわれ、中臣氏と共に神祇に預かるもっとも由緒正しい家柄とされた。古事記に依れば、例の天岩戸に隠れてしまった天照大神を誘い出す神楽の時に、鏡と玉と御幣を掛けた榊を持って、中臣氏の祖である天児屋命が唱える祝詞に合わせて打ち振ったのが天太玉命。律令制が整うまでは中臣氏と神祇職を二分していた。しかし、中臣氏、その後裔の藤原氏の政治力に押され、次第に家運は衰微していく。その憤懣を平安初期の人斎部広成が平城天皇に訴えたのが、「古語拾遺」として現代に伝わった。古事記、日本書紀とは違った視点で日本の生い立ちを記した文書として、異彩を放っている。 中央では力を失ったが、この氏族はなかなか活動的な集団であったらしく、阿波を本拠に讃岐、出雲、さらには海を渡って房総半島にも上陸、安房国を建てて東国を開拓していった。 阿波国を開拓したのは、天太玉命の弟の天日鷲命とされる。この神は阿波国に麻を植え、その麻から木綿(ゆう)と呼ばれる紙を作ったとされる。紙は中国から渡ってきたと考えられているが、日本には古来からこの木綿(ゆう)と呼ばれた紙があったらしい。もっともこの紙には字は書けなかったらしく、もっぱら御幣に使われたという。 余談だが江戸のおとり様で有名な浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭神は、この天日鷲命である。 |
鳴門の渦潮 阿波といえば鳴門の渦潮だが、潮の干満で渦が現れるので、干潮、満潮の時刻から 前後一時間ぐらいが見頃という。春、秋の大潮の時には非常に大きな渦が現れる。 |
阿波国府 |
徳島市国府町に観音寺という寺がある。平成10年(1998)ここから七世紀のものと思われる木簡が出土した。ここは以前から阿波国庁の所在地ではないかと考えられているところで、建物の遺構は見つかっていないが、この木簡の出土によって、このあたりに古代の役所があったであろうことが確実となった。 この木簡には古今集序文で引用された古歌「奈尓波ツに咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」とか、論語の「子曰学而習時不孤乎」など役人が手習いをしたようなものや、「国守のために米三升を支給する」、「高志五十戸税三百十四束」などの行政文書の断片が記されている。 |
観音寺山門 今は、真言宗の寺だ。 |
本堂 第十六番札所でもある。 |
観音寺遺跡から出土した土器 (徳島市立考古資料館蔵) |
阿波国惣社大御神 |
阿波国惣社は観音寺の境内にあった。何故か八幡様と一緒になっている。惣社大御神という社号にしては、みすぼらしいとも云える質素なお宮だ。 |
質素な本殿 | 惣社大御神の掲額 |
大御和神社(阿波国総社) |
阿波国の総社はもうひとつある。国府町府中にある大御和神社だ。「府中の宮(こうのみや)」と呼ばれているように、こちらが総社だという説も強い。実際、こちらの方がよほど立派だ。 この宮は別名印鑰神社とも呼ばれ、国の印鑑、正倉の鍵を祀る。この宮の神紋も鍵を組み合わせてある。印鑰神社は総社と共に各国の国庁近くに祀られることが多いが、普通は総社とは関係がない。この宮は総社と印鑰神社を兼ねたのだろうか。ちょっと疑問が残る。 |
拝殿 前の惣社大御神と違って、こちらは立派な社である。祭神は大巳貴命。 |
阿波国分寺 |
阿波国分寺は国府町笶野にあり、観音寺に国庁があったとすれば、その西南側のほど近い高台にある。第十五番札所でもあり、お遍路さんで賑わう。 昭和五十三年から三年間にわたり発掘調査が行われたが、既存の建物があるために伽藍の遺構は発見されていない。ただ、寺域は249M四方で、大門、中門、金堂、講堂が一線上に並び中門と金堂を回廊で結び、回廊の外西南方に塔を配する典型的な国分寺式の伽藍配置であったと推定されている。 |
現国分寺本堂と鐘楼 薬王山と号する曹洞宗の寺。 重層入母屋造の本堂は江戸文政期の建立。 |
塔の心礎 長径3.8M、短径1.8M。巨大な緑泥片岩。 水田の中から発見され、境内に移された。 |
大師堂跡 本堂の東側に大師堂があったはずだが、 取り壊されて基壇が残っていた。 発掘調査が始まるのだろうか。 |
桃山期の庭園 本堂の裏にある。巨石枯山水の庭園で、 残念ながら外からは見えない。 柵からカメラを強引に入れて撮った。 |
阿波国分寺伽藍推定図 (徳島市立考古資料館) |
大麻比古神社(阿波国一之宮) |
阿波国一之宮は、大麻比古神社とされる。鳴門市の大麻山の南麓に鎮座する。大麻比古大神は、阿波国を開拓した天太玉命、天日鷲命の忌部族の祖先神とされ、さらにこの地に以前から鎮座していた猿田彦大神を合祀する。 忌部族の神は殖産の神で、麻を植え、麻布を織り、木綿(ゆう)という幣を作り、さらには勾玉の製作にもかかわった。 神格は高く、延喜式では名神大社、享保年間に正一位に進み、明治六年国幣中社に列す。 |
朱塗りの橋から続く参道 |
拝殿 | 本殿 |
狛犬2題 一風変わった狛犬がいた。2匹ともよく見るとおかしい。 |
大楠 樹齢千年とか。神霊が宿るとされる。 |
めがね橋 第一次世界大戦のドイツ軍捕虜が作った。 |
霊山寺(四国第一番札所) |
大麻比古神社のすぐ近くに、霊山寺がある。四国八八カ所霊場の第一番札所である。四国遍路の旅は、この寺から始まる。 |
霊山寺山門 第一番札所にふさわしく堂々たる山門。 |
太子堂 雨にも拘わらず大勢のお遍路さんがいた。 |
本堂 薄暗い本堂では、天井から釣り行燈がさがり、巡礼たちが唱える般若心経の声が響く。 |
阿波国地図 |