23.備前国 岡山県岡山市国府市場 JR山陽本線高島駅 98.08.09 05.07.08



吉備国は桃太郎伝説の国である。温羅(うら)と呼ばれる土着の鬼を、大和朝廷が
派遣した四道将軍のひとり吉備津彦がうち破った。桃太郎の原型である。
温羅の首は今の吉備津神社の地に埋められたと伝えられ、その上で例の鳴動する
釜がいつも煮えたぎっている。火伏せであろうか。

吉備国はかって大和朝廷を脅かすほどの勢力があった。備前長船に代表される
刀剣文化にも名残が認められるように、この地は古くから鉄の文化を持っていて、
大和朝廷も侮れない軍事力を持っていた。
雄略天皇の妃稚姫仁徳天皇に愛された黒姫など、数々の古代伝承の中に、
朝廷との深い関わりが読みとれる。

後に四分割されて、備前、備中、備後、美作に分かれる。



備前国庁跡

備前の国庁跡とされる国長宮は、岡山市国府市場にある。
ヤクルトの工場の並びに廃屋に近い社があった。7年前に訪ねたときよりだいぶ整備されてきた。

国長宮
備前国庁跡と推定される宮だ。国長は国庁に通じる。この他にもこの近辺には
長の森とか、北国長、南国長などの地名が残っている。
近年、この宮の周辺から柱跡や土器類が発掘され、昭和34年(1959)備前国庁跡として県の史跡に指定された。


拝殿
一応、拝殿というわけらしい。
なんだか土倉のような建物だ。
本殿
こちらが本殿。うーん、今にも朽ち果てそう。心細いたたずまいだ。



備前総社

国府跡を北にさかのぼると、備前総社に出る。
国庁に比べればまだましと言うべきだが、こちらもだいぶ疲れている。
創建当時は備前国内128社を合祀し、1丁(約100M)四方の広大な境内を有した。
今でも「総社の内一」、「総社の内二」などの字名が残っている。


鳥居
石造りの鳥居
扁額
鳥居の上には総社の扁額が掛かっている。

神門 境内社


本殿予定地
8年前もこんな感じで、本殿を建てる気はなさそうだ。



備前国分寺跡

岡山から山陽町に向かってバス通りを東に走ると、山陽自動車道をくぐった先に「稚姫の里」というノボリが立ったショップがある。季節の野菜などを売る店だが、そのあたりの古代遺跡の案内所でもある。すぐ裏が両宮古墳で、稚姫の夫の下ツ道君を埋葬した古墳だという。その西側の細い道をたどって行くと、史跡備前国分寺跡に着く。


備前国分寺跡
8年前は何の表示もない荒れ野だったが、今回は整備事業が始まっていた。
昭和49年(1974)の発掘調査で、南門、中門、金堂、講堂が一直線上に並び東南に塔を配する伽藍が確認された。寺地は東西が180m、南北は240m。昭和50年(1975)国の史跡に指定。

伽藍配置は南門、中門、
金堂、講堂と一直線上に
並び、東南の隅に塔を配
する典型的な国分寺様式。


南門と中門の間が狭いのが
この国分寺の特徴である。

境内の境界に建つ小社
境内の北側の境界に並んで建つ小社。
金堂跡
金堂跡の整備準備。

塔跡に立つ7層の石塔
塔の心礎の上に建っている。
鎌倉時代のものらしい。
塔の心礎



吉備津彦神社(備前国一之宮)


備前一宮「吉備津彦神社」に詣でた。

昭和5年(1930)の火災で、往年の建物は本殿、随神門を除き焼失し、現在の社殿は昭和11年(1936)に再建されたものである。

夏至の日の日の出は、正面の山からのぼり、朝日が御鏡に入るとされ朝日の宮と称される。


拝殿 拝殿内部

渡殿 本殿
元禄10年(1697)池田輝政の再建。
三間社流造檜皮葺。


祭文殿から渡殿、本殿を望む。

備前国地図


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