37.豊後国  大分県大分市古国府   JR久大線古国府駅  2001.08.17


風土記は、大和朝廷が全国の国司に命じて編纂させた地方固有の地誌であるが、完全な形で残っているのは常陸、播磨、出雲、肥前と豊後の5カ国だけである。その豊後風土記の大分郡の条には次のように記されている。

大分郡(おおきたのこほり)、郷は九所、駅は一所、烽は一所、寺は二所なり。
昔、纏向日代宮御宇天皇
(まきむくのひしろのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと=景行天皇)豊前国の京都(みやこ)の行宮より、此の郡に幸(みゆき)しまし、地形(くにがた)を遊覧(みそなほ)して、嘆き日わく、

広く大きなるかも、此の郡や、宜しく
碩田国(おおきたのくに)、と名づくべし、と。いま、大分(おおきた)と謂うはこれ其の縁(ゆかり)なり。

八月の猛暑の中、豊後国を訪ねた。


豊後国府


豊後国府は未だに発見されていない。学説もいくつかあって、確定していないが、
大分市の
古国府(ふるごう)にあったことは間違いなさそうである。古国府という
地名に遺跡が残されていると言ってもいいだろう。

JR久大本線で大分から一つ目の駅が古国府駅である。

大国社(豊後国府跡?)


駅を降りて南に15分ほど歩くと、民家の密集する中に小さな神社があった。
大国社といい、印鑰(いんにゃく)様と呼ばれる神社だ。印は国司の使う国印、
鑰(にゃく)は租税を収納した倉の鍵である。

つまり、其の国でもっとも大事な印と鑰を祀る神社というわけで、ここが豊後国府
に非常に近いところだというのが定説だが、まだ、国府に関係するような遺跡、
遺構は何も発見されていない。

拝殿は切妻造りの簡素なもので、355坪の境内はあっけらかんとして、ただの
平凡な村社の雰囲気だ。

大国社
祭神は大国主命。
拝殿
この近くに豊後国庁が眠っている。

岩屋寺石仏(もう一つの豊後国府?)


JRの線路の反対側に上野丘という高台がある。その台地の東側端の竜王畑で、
掘立柱建物跡、築地塀跡などが検出され、円面硯、緑釉陶器、鬼瓦などの官衙
的遺物が出土した。

ここは、平安時代後期の荘園文書に「
高国府(たかごう)」と記されたところで、
あるいは、印鑰社のあたりにあった国府が、平安期にこの高台に移転したかもしれ
ないという。

岩屋石仏

台地の東端部の崖には、この岩屋寺石仏元町石仏などが残されていて、大分県に広く分布している磨涯仏の初期の形を伝えている。この岩屋寺石仏は台地の東側を降りてきて、すぐ左側にあった。全部で17体の磨涯仏が刻まれているが、いずれも彫刻面がひどくいたんでいて、像名はわかりそうもない。釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来のそれぞれ三尊像で、過去、現在、未来の三世信仰を表していると推定されている。平安時代後期の作と考えられているらしい。

そのほか近くに総社の跡があるはずだと、かなり歩き回ったが、ついにわからなかった。それにしても大分の夏は暑かった。


豊後国分寺

豊後国分寺は、古国府からJR久大本線で三っつ目の豊後国分駅で降りて、わずか2分のところにある。大分市歴史資料館が併設されていて、古代から近世までの大分の歴史をわかりやすく展示している。

講堂跡と食堂跡は基壇が整備されて公園になっている。
これらの遺跡から、豊後国分寺は、中門、金堂、講堂、食堂が南北に並び、金堂の南西に七重の塔を配する大官大寺形式であったことがわかる。

天平勝宝八年(756)に越後国など26カ国の国分寺とともに、灌頂幡、道場幡などが下賜された記事が続日本記にあるので、その頃には創建されていたものと思われる。

寺域の大きさは東西183メートル、南北300メートル。


講堂跡
基壇の規模は東西27M、南北18.7M。
建物は瓦葺きで、間口7間(20.72M)奥行き4間(11.84M)の堂々とした伽藍であった。

薬師堂
古代の国分寺の金堂の上に建っている薬師堂。
元禄七年(1694)の建造である。
東面した三間四間の入母屋造りで、丈六の薬師如来像を安置する。

古代の金堂は南面していて、正面七間、奥行四間で中門と回廊で結ばれていた。

大分市歴史資料館
これは立派な資料館である。縄文時代から近代まで大分市の歴史をわかりやすく展示している。しかし、ここの説明はおおざっぱで、もう少し詳しい解説がほしいのにと残念に思った。

せっかく国分寺のそばにあるのだから、国分寺についてはもっと詳しく解説すべきだろうし、豊後国府や総社などはどこにも解説がない。立派な(立派すぎる?)外観なのだから、中身ももっと充実してほしい。
七重塔の模型
資料館のエントランスに、七重塔の模型が展示されている。

周囲18M、高さ60Mという巨大な塔であった。

熊野磨涯仏

これもせっかくだからということで立ち寄ったが、聞きしにまさる難行苦行。
鬼の階段ともいわれる45度の急斜面を、必死に登って、汗だくだくでたどり着いた。
鬼の階段
急斜面とゴロゴロした石の道は
極めて歩きにくい。
磨涯仏
うーん、まあ、すごいと言えばすごい。こんな所によく仏像を刻んだものだ。

湯布院温泉


豊後国に来たからには、名湯湯布院温泉だと、グリーンの色もきれいな「湯布院の森」号に乗って、出かけた。

由布岳
標高1,583M。豊後富士と呼ばれる。円錐形の美しい山だ。

由布院温泉
源泉の数は852本。日本最大級の豊富な湯量を誇る。温泉の名前は由布院、町の名前は湯布院という。
御宿一禅
こぢんまりした旅館。可も無し不可も無し。

湯布院号
グリーンの車体がオシャレな特急。
記念撮影
社内でこんなパネルを持たせてくれて
記念写真を撮ってくれる。

豊後国地図



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