36.出羽国 |
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出羽国は和銅五年(712)越後国より分立された。蝦夷との境界で常に侵略の危険にさらされていた。従って出羽国府も軍事的色彩を強く帯びていた。陸奥の多賀城とともに出羽国府も北辺の防衛の最前線拠点であった。天平五年(733)秋田村高清水岡に秋田柵が作られ、のち、出羽国府とされ秋田城と呼ばれるようになる。 |
秋田城跡(出羽国府) |
秋田城跡の模型 広大な史跡を、歴史公園として整備しつつある。 昭和34年から文部省、秋田県が継続して発掘調査を続け、平成元年からは歴史公園として整備され、平成6年には東門と築地塀が復元された。 |
復元された秋田城東門 | 歴史公園 |
秋田城配置図 | 政庁跡の発掘現場 |
総社神社 |
出羽総社は国府が山形に移った後も、地元によって尊崇を受け、祭祀は連綿と続いている。
総社は地元では、濁らずに「そうしゃ」と発音する。
総社神社本殿 | 総社神社の内部 |
出羽国府(城輪柵) |
出羽国府跡はJR羽越本線酒田駅から、タクシーで羽越本線に沿って、かなり北へ走った
ところにあった。1965年から本格的な発掘が行われ、ほぼその全貌がみえてきて、主な
建物は復元されている。
出羽国府は最初、秋田城に置かれた。9世紀初めに、ここ城輪地区に移された。従って
小野小町は9世紀の人であるから、秋田ではなく、この城輪の国府で誕生したとみてよ
かろうと私は思う。これは、私の全くの推測で秋田の人に叱られそうだが。
出羽国庁東門
直径1.5尺(45cm)の秋田天然杉を使った柱。見事に復元された間口3間、奥行き2間の
八脚門様式。
出羽国庁南門
出羽国庁正殿跡
城輪遺跡は一辺が約720Mのほぼ正方形の遺跡だが、その中央に1辺が約110Mの
築地塀に囲まれて、政庁の建物群がある。正殿、後殿は柱の位置が示され、その規模が
推定できる。東門と南門は朱塗りの柱に白壁で、復元されている。
小野小町誕生伝説 |
出羽政庁復元模型
出羽国分寺 |
現国分寺は天台宗で柏山寺と称していて、別当寺としてこの薬師堂を守っているという。
本尊薬師如来は秘仏で拝観はできない。五月八日には例祭が開かれ植木市でにぎわう。
平安末期から鎌倉期に、国府が酒田の城輪から、山形市北方の府中に移った記録がある。
国分寺もその頃にここに移転したと考えられる。
境内は広く、ケヤキ、銀杏、カエデなどが生い茂り、静かでのどかな時間が流れる。
男鹿温泉(おまけ)
2003年8月、秋田城を訪ねた後、台風10号と競争するように男鹿温泉に向かった。雄山閣という旅館は、古い旅館で質素な外観だが、本物の温泉を満喫できる。土曜日の夜は、地元の保存会によるなまはげ太鼓の実演会も催される。これがまた勇壮なもので、思わず歓声と大拍手が巻き起こる。 |
雄山閣の温泉 雄山閣の温泉は源泉をそのまま引い ている。間欠泉のように、なまはげが吐 き出す温泉は、なかなかの迫力。上質の ナトリューム泉で本物の満足感ありだ。 |
温泉のパイプ 雄山閣の温泉を引いているパイプ。 わずか3ヶ月でこのように詰まってしまう。 源泉そのままに湯槽に引くには、かなり の苦労があるようだ。 |
男鹿のなまはげ太鼓(動画) 左の画像をクリックすると太鼓の実演が 始まります。最初はaviファイルをダウン ロードしますから、少しぎくしゃくしますが、 最後までロードしてから、をクリックする と、迫力ある実演がご覧になれます。 |
出羽国府地図
秋田城跡 | 城輪柵遺跡 |
出羽国分寺地図
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