都会に眠る1万年前の文化 縄文草創期の花見山遺跡
2008.09.17

横浜市都筑区にある花見山遺跡は、今から約1万5千年前の縄文草創期の遺跡である。

昭和52年(1977)9月、横浜市の港北ニュータウンの開発に伴う遺跡調査の7年目に、とんでもないものが見つかった。土器の破片である。縄文土器は珍しくない。しかし、その土器は周辺から出土した土器とは何となく雰囲気が違っていた。それに、旧石器時代末の面影を漂わす石器有舌尖頭器などが一緒に出てくる。調査の結果、この土器こそが約1万年の眠りから覚めた髏文土器であった。

この土器の出土する時代層を縄文草創期と呼ぶ。1万5千年前にまで遡る世界最古の土器が出土する地層である。新潟県の小瀬が沢洞窟室谷洞窟、長崎県の泉福寺洞窟などから大量の遺物が出土しているが、いずれも山地の洞窟からであり、海岸に近い平地からの大量出土は極めて珍しい。

花見山遺跡から出土した髏文土器の破片は1,420点を数え、120個体に達する大量出土であった。ほかに有舌尖頭器54点、木の葉型尖頭器33点など縄文草創期を立証する石器も数多く出土している。


見花山かりん公園
花見山遺跡として発掘された場所は、すっかり新興住宅地になってしまっている。その住宅地の中に小さな公園が残されていた。市民の憩いの場である。都会の真中にいることを忘れさせる高フ公園だ。このあたりに、1万年前の縄文人達のムラがあったのであろう。遺跡名は「花見山」、地名は「見花山」だからややこしい。


ゆうばえの道
この公園から東にゆうばえの道と名付けられた遊歩道が続いている。川和富士公園までゆっくりと散歩するのに最適だ。


周辺地図
最寄り駅は横浜地下鉄グリーンラインの都筑ふれあいの丘駅だ。西へ歩いて20分。県立川和高校を目標に歩けば迷わない。高校の東側一帯が見花山だ。バスだと至近距離に見花山バス停がある。


花見山遺跡出土の土器                     (横浜市歴史博物館蔵)
1万5千年前の縄文草創期の土器。口縁に細い粘土の紐を巻き付けた隆起線文が特徴。
横浜市歴史博物館に展示してあるが、わずか3点だけでせっかくの貴重な遺跡なのに
少々残念だ。説明もあっさりしすぎていて、数少ない草創期の遺跡なのに物足りない。


隆起線文土器
縄文草創期の標識土器で、最も古い型式である。新潟県の小瀬が沢洞窟の最下層から破片が出土しており、爪形文系、多縄文系へ発展していく草創期の型式である。上の2点の土器の胴部には、ハの字型の爪形文が見られる。


髏文土器
粘土の紐を押しつぶしたような髏文。
共伴石器      (横浜市歴史博物館資料)
同じ地層から有舌尖頭器や石鏃などが出土。


花見山遺跡出土の土器                  (東京国立博物館展示)
3点では淋しいので東京国立博物館に行ってきた。こちらでは4点の出土品が展示してある。大きいものからずいぶん小型のものまである。横浜市歴史博物館に展示してあるものに比べて、器底が尖鋭である。
東京国立博物館は撮影は基本的にOKである。


髏文土器
左から順番に並べてみる。左は中型の深鉢。数本の細い隆起線が上部を飾る。
右は、高さ4.4cmの小さい鉢。黒色で口縁に凹凸をつけ、器面に細かい交差線を施す。


髏文土器
左は中央の大型深鉢。口縁部をみみず腫れのような髏で飾る。
右は、高さ10cmの小ぶりの鉢。黒灰色で口縁部の髏が印象的だ。

地層の模型                       (横浜市歴史博物館)
縄文時代は6期に分けられ、最下層の草創期は今から1万5千年から1万年前の地層である。


横浜市歴史博物館
横浜地下鉄のセンター北駅から歩いて5分のところにある。立派な建物でびっくりする。
縄文時代から古代、中世、近世から現代まで展示は幅広い。写真撮影は自由である。
博物館に隣接して弥生時代の大塚・歳勝土遺跡公園が広がる。


縄文時代の展示
土器や貝塚など縄文人の生活を再現した展示は楽しい。花見山遺跡出土の土器が3点だけなのが淋しい。


縄文土器
早期から前期、中期、後期、晩期と時代に沿って並べている。いずれも神奈川県内の遺跡から出土した土器である。しかし、説明がほとんど無いのはどうしてなのだろうか。型式の表示も無い。


南堀貝塚の想像図
同じ都筑区から発掘された縄文前期の遺跡南堀なぼり貝塚の生活想像図。縄文海進で海が鶴見川のかなり奥まで入り込んでいる。

横浜地下鉄
花見山遺跡は都筑ふれあいの丘駅、
横浜市歴史博物館はセンター北駅下車だ。

縄文紀行


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