41.播磨国 兵庫県姫路市 JR山陽本線姫路駅 2002.08.11
播磨の国は、風土記の国である。和銅六年(713)に出された風土記編纂の詔に応じて
各国が編纂した風土記は、ほとんどが散逸しまったが、常陸、肥前、出雲、豊後とともに
播磨国風土記は、ほぼ完全な形で現在に伝えられた。しかも、中央から派遣された国司
による編集が行われる前の形を残しているらしく、播磨国の古代史を今に伝える貴重な
資料である。
播磨国風土記によると、神功皇后が三韓征伐に勝って凱旋の帰途、福泊(姫路市東部)
の入り江に風待ちのため避難した。入港するとたちまち雲が切れて青い空がのぞいた。
「おお、晴れ間なり。」
と神功皇后が叫んだ。これが、「播磨」の国名になったという。笑っちゃうね。
国宝姫路城 なんといっても、播磨国のシンボルだ。 昭和の大改修が終わって、その優美な姿を 見せている。現在の天守は池田輝政が、 慶長六年(1601)から8年の歳月をかけて 完成させた。 法隆寺とともに、我が国で最初に世界文化 遺産に指定された。 |
天守閣から見た姫路市。 播磨国風土記によると、この地を訪れた大汝命 (おおなむちのみこと)と火明命(ほあかりのみこと)が 親子喧嘩をした。置き去りにされた火明命は 怒って、大汝命が乗った船を難破させてしまう。 その船の積み荷が散らばって、14の丘になっ たという。蚕子(ひめ)の落ちた所が、姫山。 今の姫路城の建つ丘である。 城の天守閣からは、風土記に書かれた丘が、 いくつも見渡せる。 |
播磨国府跡 |
和名抄に播磨国の国府は、飾磨郡(しかまぐん)にあると記されている。 姫路郵便局の敷地内から、古代の官衙跡が発掘されて本町遺跡と名付けられた。 本町遺跡からは、建物跡、堀跡、井戸跡などが検出され、多量の瓦や緑釉器、硯、 木簡などが出土した。 古代から続く総社に隣接しており、ここが播磨国庁の跡であることは、ほぼ確実 という。 |
姫路郵便局。 敷地内から播磨国庁と見られる本町遺跡が 発掘された。 |
隣接する総社側から、姫路郵便局を望む。 |
播磨国総社(射楯兵主神社) |
播磨国総社は、射楯兵主(いたてひょうず)神社という。射楯大神と兵主大神を祀る。 射楯大神は素戔嗚尊の御子で、植林の神として知られる五十猛命(いそたけるのみこと) である。播磨国風土記には因達里にいます伊太代神と記載されている。 兵主大神は大己貴命(おおなむちのみこと)。大汝命とも、大国主命とも呼ばれる。 延暦六年(787)勅命により、兵主大神を国衙小野江に遷し、併せて射楯大神を合祀し 射楯兵主神社と称する。 養和元年(1181)、播磨国16郡の174座の大小明神を射楯兵主神社に合祀して、 播磨国総社と称する。例大祭は11月13日から16日。ひめじ祭りとして盛大に行われ る。 |
一つ山祭、三つ山祭
藤原純友の天慶の乱に際し、その鎮定の祈願祭を執り行ったのが一つ山祭の始まりで、鎮 座縁日の6月11日の干支が丁卯(かのとう)となる日(60年に一度)に斎行される。 三つ山祭は、一つ山祭の臨時祭として、21年目ごとに斎行される。9月中の亥の日を中 心に7日間にわたる。「やま」と称する二色山、五色山、小袖山とよばれる巨大な山鉾を 境内に飾り、古式豊かな祭礼神事が執り行われる。 最近では昭和三年(1928)に一つ山祭が、昭和四八年(1973)三つ山祭が斎行さ れた。 |
播磨総社の鳥居 花崗岩製の鳥居で、藩主榊原忠次の寄進。 慶安4年(1652)摂津御影山から石材を運んだ |
楼門 |
本殿 射楯大神と兵主大神を祀る。 | 播磨国総社の扁額 |
播磨一国総社として、国内の主要な神社を合祀 する。本殿の裏手に174座の神を祀る。 |
主要12社の合殿。 |
播磨国分寺 |
姫路駅から山陽本線の各駅停車で一つ大阪よりの御着駅で降りて、線路沿いに10分ほど姫路
寄りに歩くと、播磨国分寺へ出る。
現国分寺は牛堂山と称する。伽藍の造営の時に霊牛が現れて、山中から巨木を運んだ故事に
よるそうだ。この地は牛鹿氏という豪族の本拠で、その協力で国分寺が出来たことを暗に示して
いるという説もある。
古代の国分寺は、現国分寺の山門の下に金堂が、本堂の下に講堂があったらしいが、未発掘で
ある。昭和43年(1968)から、本格的調査が行われ、中門と金堂を回廊が結び、その東南
に塔を配し、南門、中門、金堂、講堂が一直線上に並ぶ国分寺型の伽藍配置であることがわ
かった。
塔の基壇長は18.9m、検出された礎石は心礎を含めて17個。塔の高さは約60mというから、
7重の塔であったろうと思われる。
播磨国分寺本堂 | 西側から本堂を望む。 |
五智如来像 | 牛堂山の山号に因む霊牛 |
古代の国分寺跡を示す石碑 | 中門基壇から金堂、講堂を望む。 |
七重塔の基壇 | 塔の礎石 |
復元された灯籠。 直径2.4Mの瓦積の基壇が発掘された。 |
復元された築地塀。 |
播磨国地図