52.因幡国   鳥取県岩美郡国府町 JR山陰本線鳥取駅 2004.01.23  04.24



大伴家持藤原仲麻呂に疎まれ、右中弁から因幡守に左遷されたのは、天平宝字二年(758)六月のことであった。家持は左大臣だった橘諸兄(たちばなのもろえ)と近く、諸兄の失脚と死去によって家持の立場は急速に悪くなり、諸兄の子奈良麻呂の乱が制圧されると、中央政界での発言力はほとんど無くなってしまう。万葉集に収められた家持の歌も、次第に哀愁を帯びてきて彼の寂しい境遇が思われるのである。

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鴬鳴くも

我が屋戸の いささ群竹 ふく風の 音のかそけき この夕べかも

うらうらに 照れる春日(はるび)に ひばりあがり 心悲しも 独りし思へば


それにしても、歌人は得意の時よりも失意の時の方がいい歌が出来るらしい。万葉集の中で私の一番好きな歌の一群である。


因幡国庁復元模型                        (因幡万葉博物館)



因幡国庁跡


万葉集4516首の最後は、因幡守大伴家持の次の歌で締められている。

三年春正月一日、因幡国の庁にして、国郡の司等に饗を賜ふ宴の歌一首

 新しき 年の始めの 初春の けふ降る雪の いや吉言よごと


時に天平宝字三年(759)正月、大伴家持四二才の新年であった。

2004年正月、私は因幡国庁跡に立っていた。1200年前と同様、一面の雪景色であった。
鳥取市国府町中郷に遺跡はあった。


正殿、後殿の復元された柱
正殿は五間、四間の両面庇。
後殿は五間、二間の建物であった。
南門跡から正殿を望む
南門は七間、二間の大きな門。



宇部神社(因幡国一之宮・総社)


因幡国一之宮は宇部神社である。境内に国府神社を祀り、総社を兼ねた。祭神は武内宿禰

武内宿禰は景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五代の天皇に宰相として仕え、360歳(公卿補任では295才など諸説ある)でこの因幡国で薨じたといわれている。大和の豪族蘇我氏葛城氏の祖先でもある。

宇部神社に代々宮司として奉祀してきた伊福部氏は、大国主命の末裔とされている。ここで、蘇我、葛城と出雲が結びつく。神武天皇より先に大和、丹波を治めていたとされる物部氏、尾張氏の祖饒速日(にぎはやひ)命。出雲の大国主命とともに、天孫である天皇家に国を譲った。二つの国譲り神話は、大和朝廷が土着の豪族達、つまり出雲系の蘇我、葛城、丹波系の物部、尾張の各豪族と、東から来た天孫族との連合政権であった痕跡だという説が現れる。

さて、近年まで連綿と祭祀を伝えてきた伊福部氏は、古代の有力豪族で、娘達は奈良の都にのぼって、采女として天皇に仕えた。明治になって65代の時、神職を離れ北海道に渡るが、そこから東京音楽大学学長を務めた伊福部昭氏が出る。彼はゴジラの作曲者としても知られ、黛敏郎、芥川也寸志などの俊才を育てる。


本殿 掲額


五円札
武内宿禰の肖像と、宇部神社を描く。
大正5年から昭和まで使われた。
宇部神社拝殿
五円札のデザインと比べてみよう。


武内宿禰命終焉の地と彫られた碑
因幡国風土記に武内宿禰が、この地で
薨じたと記されている。
双履石
武内宿禰はこの履き物を残して、360歳の
長寿を閉じたという。


国府神社へ
宇部神社境内にある。
国府神社本殿
本来の因幡総社であろうか。


宇部神社の後ろの山は稲葉山という。

斉衡2年(855)正月、従4位上在原行平は因幡守に任じられて、因幡国府に赴任し、2年ほどを過ごす。後に中納言行平の名で百人一首に採られて名高い次の歌は、古今集に載せられている。ちなみに色男の代名詞在原業平は、実の弟に当たる。

立ち別れ 稲葉の山の峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰りこむ

「稲葉」に「去なば」を掛け、「待つ」に「松」を掛けた技巧的な歌である。



因幡国分寺跡


因幡国分寺跡はあまり保存状態が良くない。山陰道で史跡指定を受けていない唯一の国分寺遺跡である。かっての寺域は200メートル四方と考えられており、現在の国府町国分寺の集落のほぼ全域がそれと重なる。


因幡国分寺の礎石
因幡国分寺の礎石が集められている。
この南側の田んぼの中から、塔や南門の
跡が発掘されたという。
国分禅寺
無住の寺のように見える。
この寺の境内の片隅に礎石が集められ
ている。


細男(さお)神社
因幡国分寺の金堂があったとされる。
細男神社本殿
往年の大伽藍は想像するすべもない。


犬塚
国分寺と国分尼寺の僧や尼から
可愛がられていた犬の伝説。
早く鐘を鳴らした方の寺へ行って
エサをもらっていたが、ある時、同時に
鐘が鳴らされたので、どちらへ行って
いいかわからず、ちょうど中間で死んで
しまったという。
国分寺跡を臨む
犬塚から金堂方面を臨む。
広大な伽藍を誇った因幡国分寺は
この水田の下に眠っている。



因幡万葉歴史館


平成6年(1994)オープンした。万葉集を中心とした古代歴史、因幡の民俗などを紹介している。


歴史観入口 大伴家持直筆の官符
太政官時代の家持が自署した太政官符。


伊福吉部徳足比売の骨蔵器
因幡の豪族伊福吉部氏の娘、徳足比売は
采女として天皇に仕え、死後火葬されて、
この骨蔵器に納められて葬られた。
骨蔵器に刻まれた銘文
徳足比売は慶雲四年四月従七位下に
叙せられ、和銅元年七月に卒したとある。




鳥取砂丘


鳥取まで来たらやはり砂丘を訪ねたい。想像以上に広大でダイナミックな光景だった。


広大な砂丘
風紋が鮮やかに自然の造形美を見せる。
ループバス
砂丘には駅前から出るループバスが便利だ。
大人一回200円。


因幡国地図



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