44.和泉国 大阪府和泉市府中 JR阪和線和泉府中駅 02.12.07
神功皇后が三韓征討の軍を発するにあたって、泉井上神社に先勝を祈願したところ、一晩
のうちに霊水が噴き出した。以来この地を和泉と呼ぶようになったという。
和泉国は天平宝字元年(757)大鳥、和泉、日根の3郡が河内国から分立して成立した。
泉井上神社 |
泉井上神社 古くからこの地に鎮座し、独化天神を祀る。 独化天神は天地創造の神で、天之御中主 神、高産巣日神、神産巣日神とも云われる。 神武天皇、神功皇后が軍征の途次立ちより 戦勝を祈願したという。 現在は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇が 祭神である。 |
和泉清水 霊泉である。古くから「国府清水」、「和泉清水」と 呼ばれ、農業用水としても利用されてきた。 水は清らかで、その味は甘露であり、豊臣秀吉も 大阪城に運ばせ、茶の湯に用いたという。 和泉という国名もこの和泉に由来する。 |
和泉国府 |
和泉国府はまだ発掘されていない。しかし、国府、府中、御館、南の端、北の端などの字名が
残っていて、かっての和泉国府域を推定することは容易である。その国府域の中心に泉井上
神社があった。
和泉国府庁址の碑 泉井上神社の近くの御館山児童公園の一角にある。 |
和泉府中駅 JR阪和線。大阪天王寺からJRの快速で30分。 駅前の通りを東に10分ほど歩くと、泉井上神社だ。 |
和泉五社総社 |
泉井上神社の境内に、和泉五社総社がある。和泉国の大鳥、穴師、聖、積川、日根の五大社
を国府の地に勧請し、国司の巡拝の便ならしめた。本殿は国の重要文化財である。
和泉五社総社 せっかくの重要文化財も普通では見ることが出来 ない。この写真も格子の隙間からレンズを入れて、 ようやく撮影した。奥の檜皮葺の建物が、総社本殿 である。 |
文化財の説明板 現在の本殿は慶長10年(1605)に、豊民秀頼が 片桐且元を奉行に再建したもので、国の重要文化 財に指定されている。正面桁行3間、奥行2間の三 間社流造の檜皮葺。 |
和泉国分寺 |
和泉国分寺は、和泉府中から国道480号線を東に走り、槇尾川を南に渡り、国分町に入って
左にしばらく峠道を登ると、民家の並ぶ中にあった。
和泉国は河内国から分立したが、承和6年(839)にそれまでこの地にあった安楽寺を国分寺
とした。天正2年(1574)に焼失したという記録が残っている。延喜式の寺料は5千束と少なく
講師1名、僧10名を維持するのは、困難であったと思われる。
和泉国分寺本堂 現在は護国山と号する真言宗の寺で、本尊は薬師如来 だが、秘仏の千手千眼観音像を蔵す。 |
和泉国分寺跡の碑 境内から若干の古瓦が出土したが、周囲は民家が 建ち並んでいて、発掘調査は困難である。 |
葛の葉姫の伝説 |
和泉府中駅から阪和線で大阪方面にむかい2駅目の北信太駅の近くに、伝説の神社
「葛葉稲荷」がある。この神社の伝説を土台にして、「仮名手本忠臣蔵」の作者竹田出
雲が書いた人形浄瑠璃の名作「蘆屋道満大内鏡」は、歌舞伎に取り入れられて大人
気を博した。陰陽師阿部晴明の生誕説話である。
10世紀の朱雀帝の御代、大阪阿倍野の豪族阿部保名は、零落した阿部家を再興し ようと躍起になっていた。保名は奈良時代遣唐使として唐にわたり、玄宗皇帝に重く 用いられた阿部仲麻呂の7代目の子孫であった。 陰陽博士加茂保憲の高弟となった保名は、師の娘「榊の前」と婚約する。しかし、榊の 前は無実の疑いをかけられて自殺してしまう。悲観した保名は狂ってしまい、恋人を追 いかけて舞い狂う。 歌舞伎の名場面「保名」の菜の花をバックにした明るい舞台で、蝶を追う保名の舞が思 い出される。
狂気の保名が和泉国信太の森に迷い込み、そこで助けた狐が、恋人榊の前そっくりの 妹葛の葉姫に変身して、保名の狂気を癒し、二人は結婚して男子を生む。三人は阿倍 野の家で平穏に暮らしているが、そこへ、本物の葛の葉姫が訪ねてくる。狐の葛の葉は 観念して、天に舞い上がりいずこかへ消えてしまう。ただ、彼女の部屋の障子に 恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉 という歌が書かれてあった。この時の男子が成長して、母を慕って和泉国の信太の森を 訪れる。そこで狐の葛の葉姫は母の形見として、鳥獣の声が人の声に聞こえる霊玉を 彼に与えて去っていく。後にこの男児は高名な陰陽師阿部晴明となり、父のライバルで あった蘆屋道満と対決する。
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葛葉神社 4匹の狐に守られて静かに鎮座する。 |
うらみ葛の葉の歌碑 狐が本性に帰りながら、口にくわえた筆で書いたという。 |
姿見の井戸 白狐が葛の葉姫に化身した時に姿を写したと される井戸。 |
灯の入った本殿 薄暗くなって灯が入った本殿は、狐の姿を浮かび 上がらせて、雰囲気は抜群。 |
楠大明神 樹齢2千年を越える大楠。根元より2つに別れて いるので夫婦楠、枝が四方に繁茂しているので 千枝(知恵)の楠とも呼ばれる。 古今六帖に 和泉なる 信太の森の楠樹は 千枝に分かれて ものをこそ思え |
和泉式部の歌碑 秋風は 少し吹くとも 葛の葉の うらみがほには みへじとぞおもふ |
和泉国地図
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