33.加賀国 石川県小松市古府町 JR北陸本線小松駅 2000年1月23日



加賀国は弘仁14年(823)に越前国から分国された。江戸時代前田藩百万石を誇った加賀も、古代は
わずか四郡のみの小さな国であった。

国府は「倭名抄」に国府在能美郡とある。現在の小松市古府村に想定されている。梯川(かけはしがわ)
を安宅の河口から遡ると、古府部落に至る。現在は水田になっていて、遺跡は発掘されていない。


加賀総社(石部神社)

加賀国府は存在が知れないが、総社は石部神社として現在も残っている。小松駅から女性の運転する
タクシーで探し回って、やっと水田の中に見つけた。国庁の南にあったので府南社とも呼ばれた。



境内はかなり広いが、拝殿はなにやら淋しい。





加賀国分寺

国分寺も遺跡は見つかっていない。しかし国分寺を称する寺があるというので
行ってみたが、どうもイメージがわいてこない。



加賀国分寺は承和8年(841)に、以前からこの地にあった勝興寺をもって加賀国分寺とした。
聖武天皇の勅命以来全国に作られた国分寺の中で、最後の国分寺であった。

文明3年(1471)越前吉崎の地に、蓮如が一向宗の本拠地吉崎御坊を建て、この地に一向宗が
盛んになり、一時は領主富樫氏を追放して「百姓の持ちたる国」を築くほどになると、他宗は衰退
し、国分寺もすっかり影が薄くなったらしい。



安宅の関

小松空港の近くに安宅の関の跡があるというので、訪ねてみた。
安宅の港は加賀国府の外港であったと思われる。いわゆる国府津である。加賀国府に集められた
租税は梯川を下って、この安宅港から都へ運ばれた。

しかし、安宅と言えばなんと言っても「勧進帳」だろう。歌舞伎十八番のひとつで、歴代の団十郎や
先代の松本幸四郎などが演じた弁慶の舞台が目に浮かぶ。安宅の関と言うから、箱根とか不破の関
のように、継続してある関所だと思っていたら、義経を捕らえるために頼朝が当時の守護富樫氏に命
じて、臨時に置いた関所なんだそうだ。




安宅の関を抜けると、安宅住吉神社に出る。大阪の住吉神社を勧請した宮である。
なかなか立派な社であった。



宮の中を案内してくれたお巫女さん。すごい美人であったが、フラッシュに目をつぶって
しまった。残念無念。



加賀国地図


国府物語のトップページへ