日本最古の貝塚 西の城貝塚
2008.10.10


貝塚は縄文中期になって大規模化し数も多くなるが、縄文早期にも小規模な貝塚がいくつか存在する。その始まりは今から9千5百年以上前の縄文早期前半にまで遡り、現在知られている最も古いものが、千葉県の西の城貝塚である。JR成田線の下総神崎駅の西、県立神崎青年の家の敷地内にある。

利根川の下流域には多くの貝塚が見つかっている。昭和30年代に早稲田大学の西村正衛教授などによる系統的な発掘が進められ、貝塚から出土する貝類の淡水産、海水産の区別、海進、海退の状況、出土した土器の年代測定などにより、この地域の縄文時代の様相が見えてきた。

西の城貝塚はその中でももっとも古い時代の貝塚で、竪穴住居を伴う縄文早期の貴重な遺跡である。

西の城貝塚
青年の家の一角に小高い塚がある。西の城貝塚と記された碑と、貝塚の断面や竪穴住居跡の遺構を囲ったガラス張りの建物がある。


西の城貝塚の碑と断面
日本最古の貝塚の断面を見ることが出来る。今から9千5百年前の縄文早期初頭の地層だ。ヤマトシジミなどの淡水産の貝が主体だが、ハマグリやカキなども出土する。土器は井草式夏島式など撚り糸文系初期の土器が大部分を占める。


出土土器の破片
口縁部がわずかに外反し、細い棒に撚り糸を巻き付けた工具で、器面に文様を施している。井草式と呼ばれる縄文早期の土器の中でも最も古い型式の土器だ。


出土土器の破片
残念ながら現物は展示されていない。早稲田大学西村教授をリーダーに発掘調査された。


竪穴住居跡
竪穴住居としては最も古い時期のものである。縄文人が洞窟生活から抜けだし、平地に定住を始めた頃の遺跡だ。


ちょっと寄り道

香取神宮
香取神宮は下総国の一ノ宮である。祭神は経津主命。延喜式に伊勢、鹿島とともに神宮号で記載される最も格式の高い神社だ。
朱塗りの鳥居
参道正面に立つ朱色の華やかな鳥居。
楼門     (重要文化財)
元禄13年(1700)五代将軍綱吉の造営。


拝殿
黒漆塗り檜皮葺の荘厳な建物。千鳥破風に唐破風を重ねた印象的な宮だ。


利根川と水郷
西の城貝塚の北を利根川が流れている。この川筋は江戸から明治にかけて工事されたものだが、縄文時代には鬼怒川など幾筋もの川が縦横に巡り、東京湾もすぐ近くまで入り込んでいたという。
利根川
江戸時代以前の利根川は、東京湾に注いでいた。徳川幕府、明治政府の大治水工事により、現在のように銚子港に注ぐ水路に変えられた。


佐原水生植物園
西の城貝塚と利根川を挟んで反対側にある。
あやめ、ハナショウブ、睡蓮などの水生植物が豊富。
蓮池 南洋睡蓮
ハスは300種、スイレンは30種5,000株が5月から9月まで咲き誇る。


アヤメ ハナショウブ
5月になるとアヤメ15万本、ハナショウブ150万本、カキツバタ300本などが咲きそろい、見事な景観にため息が漏れる。


周辺案内図


縄文紀行


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