65.隠岐国 島根県隠岐郡隠岐の島町西郷 2005.04.21
隠岐国は小さい島国である。西ノ島、中ノ島、知夫里島の3島からなる島前と、最大の島である島後の4島を合わせても、琵琶湖の半分しかない。しかし、古代から防衛上の重要拠点とされ、島でありながら、淡路、佐渡とともに「国」として扱われてきた。また、この島は流刑の島として、後鳥羽上皇、後醍醐天皇を始め、遣唐副使小野篁、前加賀守源頼房等都の貴人、顕官が多数配流された島でもある。 特に後鳥羽上皇は16年の長きにわたりこの地で暮らしたが、当代一流の文化人であり、特に和歌に関しては、藤原定家をも凌ぐすぐれた歌人であった。同時に批評家としても超一流で、新古今和歌集は、この上皇の生涯にわたる編集の精華であるとも云える。 |
隠岐国府跡 |
隠岐国府は周吉郡(すきのこほり)に置かれたと古文書は伝える。現在の西郷町甲野原に比定されている。実際、惣社である玉若酢命神社の南にある小高い山を城山と呼び、かって甲ノ尾城という城があったと伝えられている。国府は「こう」と発音されるから、甲は国府に通ずるのであろう。 しかしまだ、国府関連の遺構は発掘されていない。 |
玉若酢命神社の鳥居越しに見る城山 |
億岐家 古代の隠岐国造の子孫で、 現在は玉若酢命神社の宮司を務める。 この建物は億岐家の住居だが、国の 重要文化財である。 |
駅鈴(うまやのすず) 億岐家に伝わる古代の駅鈴。 大化2年(646)駅伝の制度が制定され 朝廷から諸国の国府に配布された。 諸国の官人が公務で往来するとき、 主要道に設けられた駅で、人や馬を徴用 するときに用いた身分証明であった。 現在、億岐家に伝わる2個の駅鈴だけが 残って、古代交通の貴重な史料として 国の重要文化財に指定されている。 |
玉若酢命神社(隠岐国惣社) |
隠岐国の惣社は玉若酢命神社である。代々の宮司は、古代の隠岐国造億岐家の末裔が勤めてきた。祭神は玉若酢命。海から上陸してきた航海の神である。 |
神門 境内は広く、鬱蒼とした森に包まれている。 |
拝殿 出雲様式の太い注連縄が印象的。 |
本殿 大社造と神明造を合わせたような隠岐造。 寛政五年(1793)建立。 |
この宮には不思議な言い伝えが残っている。昔、若狭国に美しい娘がいた。18才になった時、娘は人魚の肉を食べたという。そのために娘は老いることがなくなってしまった。800年たっても美しい娘のままでいた。八百比丘尼と呼ばれた彼女は、ある時、隠岐国へ来て、この宮に一本の杉の木を植えた。「あと800年経ったら、またこの杉を見に来ます。」と言って、いずこともなく立ち去ったという。その杉は八百杉と名付けられて、今でも境内にその勇姿を見せている。 |
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隠岐国分寺 |
隠岐国分寺は数奇な運命をたどった。 奈良時代に創建されてから、連綿と法灯を伝え、元弘二年(1332)には、鎌倉幕府討伐の兵を挙げ敗れて隠岐へ流された後醍醐天皇の行在所になった。しかし、国分寺周辺の諸氏が天皇に同情的であったので、脱出をおそれた幕府は島前に黒木の御所を建ててご遷座を図ったが、天皇はその直前に脱出し伯耆国船上山に拠って倒幕の兵を挙げる。 建武中興前夜のことである。 明治二年(1869)には神仏分離令をきっかけに激しい廃仏毀釈が起こり、前年の隠岐騒動の余波もあって七堂伽藍はことごとく破却された。 後醍醐天皇の行在所であったため、さすがに火はかけられなかったが、堂塔は解体され、仏像は傷つけられて裏庭にうち捨てられた。 しかし、心ある信者は騒ぎの収まるのを待って、復興に立ち上がった。 10年後の明治十二年(1879)には小堂が建てられ、昭和になって現在の本堂が完成した。 たいへん残念なことに、平成19年2月25日、本堂から出火し全焼した。 |
隠岐国分寺参道 | 山門 |
後醍醐天皇行在所跡の碑 国の史跡に指定されている。 |
国分寺金堂跡 江戸期に建てられた金堂の礎石。 後醍醐天皇の行在所跡でもある。 |
廃仏毀釈にあった仏像達 |
無惨な姿の四天王像 | 寺院迫害顛末状 |
現国分寺本堂 | 蓮華会舞を楽しむ地元の人達 |
隠岐国分寺炎上 平成19年2月25日午後3時30分、隠岐国分寺本堂から火が出て410uを全焼した。 国の重要無形文化財蓮花会舞で使われる面9枚も焼失した。(写真は読売新聞26日版) |
蓮華会舞(れんげえまい) |
隠岐国分寺に伝わる蓮華会舞は、千年以上の歴史を持つ。明治の廃仏毀釈でいったんは途絶えたが、面や衣装は地元の古老が密かに隠して難を逃れた。その後、大変な熱意で復元し、現在では国の重要無形民俗文化財として、伝統を伝えている。 隠岐国分寺住職重栖(おもす)眞快師によれば、蓮華会舞はインドやシルクロードの流れをくむ伎楽で、無言の仮面劇である。 |
蓮華会舞を主催する住職重栖眞快師 蓮華会舞保存会事務局長でもある。 |
眠り仏之舞 獅子に起こされた眠り仏が相撲をとる。 |
獅子之舞 速いテンポのダイナミックな獅子の舞。 |
太平楽之舞 古代中国の戦士の舞を面を着けずに舞う。 |
麦焼き之舞 農作業の様子をコミカルに舞う。 |
龍王之舞 舞楽の「蘭陵王」をもとにした勇壮な舞。 |
山神・貴徳之舞 山神と貴徳の二人が鏡のように舞合わせる。 |
仏之舞 菩薩面をつけてゆったりと舞う。 |
水若酢神社(隠岐国一之宮) |
隠岐一之宮は、島後の北側五箇村に鎮座する水若酢神社である。延喜式で明神大社に列し、祭神は水若酢命。海から上がってこられた航海安全の神という。 宮司は、阿波から石見を経て隠岐に勢力を伸ばした忌部氏で、幕末の隠岐騒動では首謀者のリーダー格でもあった。 |
神門から拝殿、本殿を望む。 |
拝殿 | 本殿 寛政七年(1795)建立。茅葺隠岐造。 |
隠岐国地図 |