6.尾張国 名古屋鉄道国府宮駅 愛知県稲沢市 97.03.12  2001.09.26



名鉄本線で名古屋から岐阜に向かい急行で3っ目に国府宮という駅がある。

古代、壬申の乱で天武天皇を助けた大国 尾張国の国府が置かれたところである。

日本書紀巻第二十八
・・・・郡家にいたるころほひに、尾張国国司守
小子部連鈿鉤(ちいさこべのむらじさひち)
二万の衆を率いて、よりまつる。天皇即ちほめたまいて、その軍を分りて処処の道を塞ふ。



尾張国府跡


国府の跡を探したがこれがなかなかみつからない。
地元のタクシーの運転手さんに聞いても、
「そんな話は聞いたことがあるけど、実際に行ったことはないよ」
とはなはだ心許ない返事が返ってきた。
それでも、執拗に食い下がったら、無線で本部に聞いてくれて、ようやく判明した。

案内板
国道にある案内表示。
松下公民館
松下地区の公民館の右隅にある。

尾張国衙跡
松下公民館の陰にひっそりとあった。石碑の後には小さな宮が、ぽつねんと祀られている。

悪い国司と良い国司


さて、尾張の国司と言えば、有名人が2人居る。時代はほとんど同じ頃、
中央では関白道長が我が世の春を謳歌していた時代のこと。

一人は悪国司として、高校の歴史教科書に必ず登場する藤原元命(もとなが)
永延2年(988)11月8日付けの尾張国郡司百姓等から朝廷に出された解文
が全文残ったために、酷い悪国司であったことが、後世までも語り継がれること
になった。

尾張国解文
尾張国郡司百姓等解し申し、官裁を請ふの事。
裁断せられむことを請ふ。当国の守藤原朝臣元命、三箇年の内に責め取る非法の
官物、あわせて濫行横法三十一箇条の愁状。
1.裁断せられむことを請ふ。例挙のほかに三箇年の収納、暗に以て加徴せる正税
  四十三万千二百四十八束が息利の.........
1.........交易と号して誣ひ取る絹、手作りの布、信濃の布、麻布、漆、油...
.................
1.......守元命朝臣、庁のまつりごと無きに依りて、郡司百姓の愁を通じ難きこと..
1.......元命朝臣が子弟郎等、郡司百姓の手より雑物等を乞い取るの事....
1.......
以前の条の事、憲法の知らむが為に言上すること件(くだん)のごとし。....
望み請ふらくは件の元命朝臣を停止して良吏を改任せられ、以て将に他国の牧宰を
して治国優民の褒賞を知らしむ。........
よりてつぶさに三十一箇条の事状を勒し、謹みて解す。
    永延二年十一月八日    尾張国郡司百姓等


この告発状によって、元命は解任された。

この事件から3年後、長保3年(1001)尾張国守に任命されたのが大江匡衡である。
大江川と名を残した治水事業をはじめ、数々の善政を施した。
この大江匡衡の妻が赤染衛門である。夫も学者にして歌人であったが、妻もまた歌才
にめぐまれ、和泉式部と並び称された。代表歌に百人一首に採られた次の歌がある。

やすらはで 寝なまじものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな


大江匡衡は長保3年と寛弘6年(1009)の、2度にわたって尾張国守に任ぜられたが、
妻の赤染衛門も夫について尾張の国へ下向している。尾張国府の跡から国府宮に行く
途中に二人を記念した歌碑が建っていた。後代まで悪名を残した藤原元命と好対照の
夫婦である。

大江匡衡と赤染衛門の歌碑
碑に刻まれた歌が一部かすれて読めず、私の知らない歌でもあるので、
稲沢市に問い合わせたら、商工課の長崎さんからご返事をいただいた。

はつゆきと おもほへぬかな このたびは
    猶ふる里を 思ひいでつつ     匡衡

めずらしきことは ふりすぞ 思ほゆる
    行きかへりみる ところなれども   衛門


尾張国総社「国府宮」

国府宮は裸祭りで有名な神社で、正式には大国霊神社と称する。

掲額
尾張総社国府宮と読める。
神門
室町初期の建造で、国の重要文化財である。

拝殿
江戸初期の建立。切り妻造り。
広い境内は、さすがに荘厳で歴代の国司が、尾張の総社として、崇敬したのもうなずける。
尾張大国霊神を祀る。

儺追(なおい)神事


国府宮の裸祭りとして全国的に有名なこの宮の祭りは、正式には儺追神事という。
奇祭である。神男に選ばれた裸男に触れると厄落としが出来るというので、何百人という裸男が
この神男めがけて突進する。春とはいえまだ2月。寒風の中を「ワッショイ、ワッショイ」と掛け
声を
あげてもみ合えば、周囲から水がかけられる。それが瞬く間に湯煙となって立ち上がる様は、
勇壮
そのもの。





尾張国分寺跡

国分寺跡は国府跡よりさらにわかりにく。市の案内表示もない。
民有地の畑の中に、礎石と思われる台石が5個ほどあって、石碑が一つあるだけ


平安時代、念仏を広めて、仏教を庶民にまで広めた空也上人は、この尾張国分寺で
得度したと言われる。

道路脇にある石碑
この石碑からでは、わかりにくい。
私有地
この奥に石碑が建っている。


尾張国分寺舊址の石碑

私有地の畑の中に、この碑だけが立っている。

付近の写真を何枚か載せておく。ここを訪ねる人は、鈴置神社の前の雑貨屋で
尋ねるといい。親切なご夫婦が教えてくれる。     

この畑の奥のこんもりとした林の中。 遺跡に向かう農道

   


現国分寺


鈴置山国分寺と称する。臨済宗妙心寺派の寺である。
かっては円興寺という寺であったが、明治19年に国分寺と改名した。

境内の収蔵庫には、鎌倉期の木造釈迦如来座像、覚山和尚座像など
の重要文化財が納められている。

鈴置山国分寺

萩の寺(円光寺)


国分寺の近くに萩の寺円光寺がある。このあたりは矢合(やわせ)と呼ばれる所だが
昔から萩の名所とされ、室町時代に円光寺を開いた滅宗宗興禅師も萩を愛でたと
いう。

境内には23種の萩が植えられ、なかなかいい雰囲気である。

円光寺参道


円光寺の萩
20種類以上の萩が見られる。

国分寺界隈地図



真清田神社(尾張国一之宮)

稲沢からJRで北へ一駅行くと、尾張一宮駅に着く。
駅から10分ほど歩くと、真清田(ますみだ)神社だ。

真清田神社
祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)。この神は天孫ニニギノ尊の兄神とされ、火明は穂明に通じ五穀豊穣の神とされる。

天火明命はまた尾張国造家の祖先とされる。


拝殿 本殿


服織(はとり)神社
真清田神社の境内にある。天火明命の母神である萬幡豊秋津師比売命よろずはたとよあきつしひめのみこと
を祀る。機織りの守護神である。そういえば一宮市は織機工業の盛んな所である。

尾張國地図


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