10.駿河国 静岡県静岡市  JR静岡駅  ’97.6.28 '04.05.30


平成9年6月28日は、積水ハウス常務取締役 漆谷 康氏の告別の日であった。他社の常務でありながら、大変懇意にしていただいたすばらしい先輩であったのに。咽頭ガンに冒され、58歳の生涯を閉じられた。あまりにも若い。惜しみてもあまりある。

この日はまた、6月には珍しい二つ目の台風が日本列島を縦断した日でもあった。風雨の強い日で、帰りの東名は静岡清水間が事故で不通になっていた。


駿河の国府はまだ発見されていない。かって駿府と呼ばれた静岡市内にあったことは間違いないのだが、その痕跡は見当たらないのだ。



神部神社(駿河国総社)

駿河総社は神部神社という。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、大国主命のことだ。ここではなぜか浅間神社と同殿に祀られる。浅間神社は木花開耶姫(このはなさくやひめ)が祭神なのにいいのかしら。旦那のニニギノミコトは焼き餅を焼かないのかな。

台風が来ていて暗い雨の日であったが、この拝殿の見事さは圧倒的だ。2層の極彩色の社殿は実に堂々としている。式内社の格式にふさわしい。


  
 楼門
4万5千uの境内の正面に、これもすばらしい建築美をみせている。

ここは、通称「静岡浅間神社」と呼ばれ、神部神社浅間神社大歳御祖神社の三社を総称する。

文化元年(1804)年から60年の年月と10万両の巨費を投じて、現在の社殿が造営された。24棟ある社殿はすべて国の重要文化財である。


せっかくの豪華建築でも雨の日の写真では見栄えがしない。最初の取材から7年経ったある日、もう一度駿河の総社を訪ねた。カメラもペンタックスのデジタル一眼*istDになった。まずは、高画質の駿河総社をご昭覧あれ。


楼門 當国総社の扁額


拝殿
東海の日光と称されるのもむべなるかな。


本殿
拝殿の裏に回ると、高い階段の上に本殿がある。
向かって左が富士山新宮浅間神社、右が駿河総社神部神社だ。


浅間神社
木花咲耶姫を祀る。
神部神社
大己貴命を祀る。駿河総社だ。


駿河国分寺


浅間神社を後に南へ下ると、国分寺があった。
うっかりすると見逃してしまうような、ささやかなたたずまい。

 

 ご住職は留守であったが留守を預かるご婦人に伺うと、もちろん歴とした駿河の国の国分寺であり現在は真言宗の寺だという。

時の流れとは言いながら、千年の昔には七堂伽藍が立ち並び、おそらくその威容は、総社である神部神社を、圧倒していたに違いないのだが。この国分寺の近くからは、瓦などの古代の遺物、遺構は発見されていない。

東名高速道路の建設工事の際に、静岡大学近くの片山地区で大規模な寺院跡が発掘された。東西30m、南北17mの金堂、講堂が発掘されたが、肝心の塔がどうしても見つからなかった。そのため古代の国分寺跡とは認められず、片山廃寺跡としてそのままになっている。

寺料2万束の大規模な古代寺院は、未だに行方不明である。


国庁も未だ見つかっていない。長谷と言う地名に「庁屋」という字をあててみたり、今の県立静岡高校の敷地を比定する諸説があるが、いずれも決定打に欠ける。しかし、現在の駿府公園の北側にひろがる台地に、駿河国府が存在したことは確かである。



浅間神社(駿河国一之宮) 2013年11月5日取材

駿河国一之宮は富士宮市の浅間神社である。木花之佐久夜姫を祀る。つまり富士山本体が祭神なのである。全国1300社を数える浅間神社の総本山だ。徳川幕府はこの宮に、富士山山頂の支配権を与えた。それで境内地全域は125万坪ということになる。最高裁判所は昭和49年にその所有権をこの宮に認めた。しかし、山梨県側との県境が確定していないので、所有権登記は未だ出来ていない。

 鳥居  本殿

本殿は2階建ての3間社流造り、社殿は朱塗りの権現造りで、家康が関ヶ原の戦勝を謝して寄進したもので、国の重要文化財である。

拝殿と2階建て本殿
特筆すべきは,本殿が2階建てであることで、神社建築としては異例である。楼門が2階建てというのはあるのだが、本殿が2階建てというのは、この宮だけではなかろうか。伊勢神宮も出雲大社も東照宮も、本殿は平屋建てである。富士山を祀る宮として、高さにこだわったのかもしれない。

前述の新宮とされる駿府の浅間神社は、拝殿が2階建てだが、本殿は平屋建てである。

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