28.若狭国   福井県小浜市  JR小浜線小浜駅  98.11.15


若狭の国府はまだ発見されていない。場所も諸説あって決め手がないが
有力なのは小浜市の府中集落である。総社もあるし府中という地名も、
由緒あるように思える。下はその府中の集落である。



総神社(若狭総社)

府中集落の中にこぢんまりとした神社がある。村社総神社である。



今にも朽ち果ててしまいそうなたたずまいだ。それでも、本殿の前に
舞殿のような建物が建っていた。その舞殿から本殿をのぞむ。




若狭国分寺

府中から東へしばらく行くと国道沿いに若狭国分寺がある。



この国分寺は境内に古墳があるのがめずらしい。若狭姫神を
祀る社があるが、古墳が誰の墓なのかはわからない。

この古墳の東側に五重塔があったという。発掘された礎石から
奈良興福寺の塔と同じ規模と推定される。



本堂は建長年間の再建だというから、相当古い物だが、その
下から金堂の礎石と見られる遺跡が発掘された。この本堂には
鎌倉期の丈六の釈迦如来像が安置されている。首から下が焼け
残り、首と天蓋は江戸期の物だという。



若狭一之宮

若狭一之宮は上宮(かみのみや)と下宮(しものみや)にわかれる。
上宮は若狭彦神、下宮は若狭姫神を祀る。若狭彦神は山幸彦の
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、若狭姫神はその妻豊玉姫
であるという。神武天皇の祖父母だ。

まずは上宮に詣でることにしよう。無人の社だが神々しい雰囲気だ。



下宮の方が俗っぽい。



遅刻した神様(お水送り神事)

奈良東大寺のお水取りは、寒中の火祭りとして有名だが、
この神事には面白いいわれが伝わっている。

天平の頃、インドから渡ってきた一人の僧がいた。名を実忠
いう。この実忠和尚は十一面観音の信仰あつく、東大寺境内に
観音行法の修行堂を創建した。

天平勝宝四年(752)
修二会と呼ばれる行法を始めた。二月に
行われる行法だから修二会、修行堂を二月堂と呼ぶ。

その第一日に日本国中の神名帳を読み上げ、神々に守護と福祐
を祈った。それに応えて全国の神々が、二月堂に集まり祝福したが、
ひとり若狭の
遠敷明神(彦姫神)は遅刻して、ぎりぎりで駆けつけた。
そのお詫びの印に十一面観音に供える水を、若狭から二月堂の下
まで導き、泉を沸き出させた。この泉が
若狭井であり、この井戸から水を
汲み取る儀式が
「お水取り神事」である。つまり遅刻の罰ゲームというわけだ。

この若狭井に水を送る儀式が、若狭神宮寺を中心に行われる。
「お水送り神事」である。


若狭神宮寺

本堂は檜皮葺きの美しい建物。銀杏の黄金色の黄葉がひときわ映える。





お水送り神事の行われる阿伽井戸。



実忠和尚の始めた修二会の行法は、火と水の祭りで松明の火を
かざして本堂のまわりを駆けめぐる達陀(だったん)の行法が圧巻。
この火祭りは二月堂の修二会が有名だが、若狭の神宮寺、鞍馬、
那智などでも見られる。これらはほぼ南北一直線に並ぶのも興味深い。

ところで、若狭の国府が置かれたところは遠敷郡(おにゅうぐん)と
呼ばれるが、朝鮮語でヲンヌー(遠くへやる)が訛ったものとされる。
同様に若狭はワカソ(ワツソ=来る カツソ=行く の合成語)が語源
だとか。朝鮮半島との交流が盛んだった証拠とされている。

若狭地図





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