世界国別カメラ撮り比べ
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ソ連の記憶     FED   KMZ(Zorkiy)  Arsenal(Kiev)  LOMO

かって地球上に、ソビエト社会主義共和国連邦(略してソ連)という超大国が存在した。レーニン、スターリン、フルシチョフといった大政治家を輩出し、政治大国としてアメリカと対峙していた。


そのソ連はまた、カメラ生産でも、ドイツや日本と肩を並べる、いや、その両国をも凌駕する大生産国であった。1モデルで100万台を超えるカメラが、いくつもあったのだ。ただし、高級感は全くない。作りは雑でゴリゴリとした感触だ。そう、あくまでも労働大衆のためのカメラで、資本主義社会の一握りの金持ちのためのカメラではないのだ。従って、価格は信じられないほど安価だ。我々庶民には嬉しいカメラなのである。

 
FED
 
FEDはウクライナのハリコフ市に設立された孤児院が、その発祥だとされている。初代KGB議長を務めたゼルジンスキー(Felix Edmundovich Dzerjinski )の頭文字をとって名付けられたという。ゼルジンスキーはスターリンの大粛正によって殺害された多くの政治犯の孤児達を集め、救済施設としてハリコフに孤児院を作った。

 1932年、その孤児院にドイツのライカをそっくりコピーしたカメラを作るようにと、党中央から指令が下った。カメラ工場FEDの誕生である。戦前はライカのコピーであるFED1型を作っていたが、次第に改良して1956年のFED2型は、200万台というベストセラーとなった。

フェド1((1934年) 
 Fed1+Induster22 50mm F3.5
Fed1は1932年、ウクライナのハリコフで作られた始めたカメラで、おそらく世界最初のライカコピー機であったろう。1934年から量産が開始された。
 
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江戸川の風景 

このフェド1と次に紹介するゾルキー1は見た目はそっくりだが、フランジバックがわずかに異なる。フェドは28.3mm、ゾルキーは28.8mmなのだ。だから、ゾルキー用のインダスター12では厳密にいうとピントが合わない。フェド用のインダスター10が手に入るまで、我慢することにする。
   
   
AJCC修理勉強会 

AJCCの修理勉強会は、人気の講座だ。女性も参加して熱心に分解に励む。元通りになるのだろうか。 

FED-2 (1958年)
左:Jupiter−8 50mm F2.0
右:Jupiter−3 50mm F1.5


いずれもカールツアイスの名玉ゾナーのコピーで、雑な外見からは想像出来ないほどの描写を見せる。左のF2.0の価格は忘れたが、右のF1.5はヤフオクで5,200円であった。
Jupiter−3を付けたFED−2


デザインは無骨で野暮ったいが、非常に使いやすいカメラで、特に70mm近い基線長の距離計は秀逸である。200万台以上生産された大ベストセラーである。。

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路傍の石像 苔むした屋形船
大口径の明るいジュピターは、暗い風景がお得意である。木陰の石像や屋形船は、しっとりと落ち着いた描写が好ましい。

うさこちゃん 地蔵
発色も豊かで美しい。明暗のコントラストがきつい被写体でも、破綻を見せない。

パンパスグラス 江戸川
連日猛暑が続くが、秋も確実に近づいている。35度を記録した2010年9月3日の小岩菖蒲園の風景。
 

KMZ

KMZはモスクワ市郊外のクラスノゴルスクにある光学器械工場である。ゾルキーやゼニットなどのカメラメーカーとしても有名で、蛇腹式のモスクワやイスクラ、パノラマカメラのホリゾンなどのカメラを生産した。

ゾルキー1(1949年) 
 
ソ連カメラの代表は、なんと言ってもゾルキーである。モスクワのクラスノゴルスクを本拠とするKMZという国営工場で作られた。FEDがどちらかと言えば国内向けだったのに対して、こちらは輸出を目指していたようで、作りはFEDよりも一段上に見える。

ハリコフのFEDの技術を、大戦後、モスクワに移したので、最初はFED/Zorkiとダブルネームであった。 
 Zorki+Induster22 50mm F3.5

見事なライカコピー機である。ゾルキーはロシア語で「鋭い眼光」を意味する。名前通りに良く写るカメラだ。ライカやニッカのようになめらかさは無いが、ゴリゴリとした感触からは、想像出来ないほど良く写る。
 
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弁天小僧 牡丹

このカメラがライカの1/10で買えるのだから、やはりソ連という国は貧乏人の味方なのだろうか。

浅草にて 伝法院

上野、浅草を一日、撮りまくった。インダスターというレンズは大変良く写る。エルマーの顔をしたテッサーだというが、たしかにただ者では無い。ロシアレンズ恐るべしだ。
ゾルキー4 (1956年)

 Zorki 4+Induster22
4代目のゾルキーである。私はこのインダスターを付けたゾルキー4がお気に入りだ。赤で刻印された距離目盛りがおしゃれだし、描写もシャープで色の再現も良い感じだ。

このゾルキーはかなり使いやすく改良され、人気も高かったようで170万台生産されたと記録されている。

ヤフオクでレンズ付きで7千円。 
  
 Industar-22 50mm F3.5
 
ソ連製カメラの標準レンズで、沈胴式鏡胴の外観はドイツのエルマーに酷似しているが、中身は3群4枚構成のテッサーのデッドコピーだと言われる。

上の写真で、左のレンズが純正エルマー、後ろの金色の2本はライツと刻印された偽エルマー、中央がインダスター22である。

価格はヤフオクで3,700円であった。 


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春日神社拝殿 灯籠のある回廊
2010年8月の奈良は1300年祭の最中であった。ゾルキーにインダスターを付けて、酷暑の古都を撮影した。赤の発色が懐かしい感じだ。

ぬばたま 浮き舞台とサルスベリ
万葉植物園は花が少なく淋しかった。ぬばたまはこの花の実のことである。漆黒の円い実は夜の枕詞とされ、万葉集に80首載せられているが、ヒオウギというこの植物名や花は一首もない。

法隆寺参道 法隆寺金堂
法隆寺は真夏の日差しが強すぎて、フード無しの撮影は難しかった。フレアがどうしても防げないし、強すぎるコントラストも古いレンズには過酷であった。しかし、インダスター22は良く粘った。大きな破綻は無く、むしろ爽やかな印象の画像が得られた。


Arsenal 

大祖国戦争(第2次世界大戦)で勝利したソ連軍が、敗戦国ドイツのカール・ツァイスやツァイス・イコンの技術と設備を接収し、ウクライナのキエフに運んで作った工場とされている。

ここで生産されたカメラやレンズは、ツァイスのDNAを引き継ぎ、作りが優秀で市場では人気が高い。


Kiev−U (1947年)
左:Jupiter−8  50mm F2.0
中:Jupiter−11 135mm F4.0
右:Jupiter−12 35mm F2.8
Kiev−Uとジュピター8
1947年から1987年まで、40年にわたり基本デザインを変えずに生産され続けた。

このキエフUは、ソ連製カメラとしては抜群の評価を誇る。第2次世界大戦で、ソ連はドイツの大カメラメーカーであるツアイス・イコンのコンタックス製造ラインを接収した。そしてウクライナのキエフに運び、これも戦利品のように連れ帰ったツアイスの技術者達に、銘機コンタックスを作らせたのだ。キエフと名前だけ変えて。だから、初期のキエフはコンタックスそのものなのだ。私のキエフも1951年製だから、まだコンタックスの血を色濃く受け継いでいる。それでいて2万円でお釣りが来た。

キエフ用のジュピターレンズも、カールツアイスのゾナーやビオゴンのデッドコピーであり、極めて優秀なレンズである。それでいて価格はびっくりするほどの低価格だ。

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子供達 観音像
Jupiter−8 50mm F2.0で撮影。名玉と言われるツアイスのゾナー50mmに劣らない。

歩行者天国 旧新橋ステーション
Jupiter−12 35mm F2.8で撮影。ビオゴンのコピーだと言われているが、どうだろうか。

Kiev-10  (1964年) 
 Kiev 10+Helios-81 50mm F2

西欧のコピーが多い旧ソ連のカメラの中で、このキエフ10はひときわ異彩を放つ。なんと世界初の自動露出(AE)一眼レフなのである。AEカメラはレンズシャッター式カメラでは、キャノネットなどでかなり普及していた。

レンズ交換が出来るフォーカルプレーンシャッター搭載のAE一眼レフとしては、1965年12月発売のコニカ・オートレックスが日本初なのだが、このキエフ10は1964年に発売され、1965年3月にはボスフォート2号に積まれて宇宙に飛び立ったカメラだといわれている。そうだとすれば、間違いなく世界初のAE式フォーカルプレーン一眼レフだと言って良い。

 扇形のシャッター
扇形の不思議な金属膜フォーカルプレーンシャッターも、このカメラを特異なものにしている。シャッター膜が金色に光っているのも、内面反射を嫌うカメラの部品としては禁じ手であるが、このシャッターを見ると思わずオ!と、惹き付けられてしまう。下部中央を軸にして、扇形に回転する不思議なフォーカルプレーンシャッターは、見たこともない独特なメカニズムだ。

レンズ付きの重量は1,022gと、これはいかにもソ連製らしく、かなりの超弩級である。 

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石灯籠 江戸川河川敷にて

特異なシャッターのおかげで、普通上下でフィルムを送るスプロケットギヤが、上側にしか付けられなかったので、フィルム送りに難がある。時々ギヤから外れて、フィルム送りに失敗するのだ。

秋の花 パンパスグラス

明るい空などでは、扇形のシャッターの影が、うっすらと写り込む。感度設定のダイヤルが堅い、シャッターボタンでレンズの絞りを調整するので、ストロークが深くシャッターぶれを起こしやすい。まあ、いろいろ難はあるのだが、惚れてしまえばなんとやらで、このカメラでの撮影はけっこう楽しいのである。

部品点数が非常に多く、機構も複雑なのでまともに動く個体は少ない。もともと日本にはほとんど出回っていないし、写真が撮れるだけでも貴重である。愛着が深まるばかりだ。


 
 Kiev 10+Mir-1 37mm F2.8

ミール−1というレンズは、M42マウントやL39マウントなどが有名だが、5群6枚構成のレトロフォーカスレンズである。37mmという中途半端な焦点距離だが、これが意外に使いやすい。1958年のブリュッセル博覧会でグランプリを取ったレンズだというが、20cmまで寄れる近接撮影など、なかなかの優れものである。 
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国立博物館

空の明るい被写体では、扇形のシャッター幕がわずかに写り込む。なにしろシャッターが光っているのだから覚悟の上だが。

噴水 せいろ蕎麦

夕方になると映り込みは気にならなくなる。20mmの近接撮影はかなり使える。

ケロちゃん 日本一

巣鴨の町は被写体の宝庫だが、37mmという焦点距離はちょうど良い。解像度もなかなかのものである。

LOMO

LOMOはレニングラード光学機械会社のロシア語表示の頭文字を通称名にしている。Gomzを前身とする、旧ソ連でもっとも古い国立の光学会社だ。カメラではスメナレニングラード、LC-Aなどが知られている。世界最初の35mm一眼レフスポルトを作ったのもこの会社である。

LUBITEL 166U (1987年)
 LUBITEL 166U+LOMO T-22 75mm F4.5
 
550gと驚くほど軽いカメラだ。ボディーはすべてプラスチック。120フィルムを使い、6×6と6×4.5の切り替えが出来る。ファインダーは驚くほどクリアーで気持ちが良い。レンズはシャープとは言えないが、かなり絞り込んで使えば、十分実用になる。

 このモデルは初めのうちは旧ソ連で作られたが、後に中国の工場に移される。中国製の方が新しいだけあって、多少使いやすいと聞く。
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 とげ抜き地蔵  巣鴨にて

シャッターが1/250までしか無いので、晴れの日はかなり絞り込んで使う。従ってピントはまあまあだが、絞りを開くとかなりピントが甘くなる。ファインダーが見やすい代わりに、ピントルーペは使いにくい。ただ、玩具カメラに毛が生えた程度のカメラにして、良く写るカメラだと言えよう。

 







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