銀塩とデジタルで撮る 新東京紀行

銀塩フィルムのカメラと、マイクロフォーサーズのルミックスを持って、東京の新名所を撮り比べる。画角をほぼ揃えて撮り比べると、懐かしさと共に技術の進歩が実感出来て興味は尽きない。

新東京紀行
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夏の風物市

エクサクタとペンFズイコー25mmの競演<江戸城>      2010.05.16

今日は全日本クラシックカメラクラブの撮影会。高島鎮雄会長以下40名ほどが集まった。
江戸城を撮ろうというのだ。私は東独の銘機エクサクタVXに、ヴェストロカラー50mmF1.9を付けて参加した。デジタルはルミックスG1に、オリンパスペンF用のズイコー25mmF4を付けて、露出計代わりとした。


<銀塩派> エクサクタVXにヴェストロカラーで
Exakta VXU Westrocolor50mmF1.9
左手で巻き上げレバーを操作するなど、使いにくいカメラだが、メカニズムは独特で機械の面白さを満喫出来る。ヴェストロカラー50mmF1.9はイスコ・ゲッチンゲン社製で、大きなボタンを押し込むと、絞りが絞られ、シャッターが切れる。総重量は1,027gと超弩級である。
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フィルムはFIJICOLOR100、現像とCDは45Digital Conびni西船橋店。
F8.0 1/500 iso100
江戸城大手門
F8.0 1/1000 iso100
百人番所と丸の内の高層ビル
皇居東御苑は江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分を一般に開放したもので、月曜、金曜が休み。公開日は無料で開放される。総面積は6万3千坪。

F8.0 1/500 iso100
午砲台跡
F8.0 1/500 iso100
天守閣跡
本丸跡は広い芝生庭園に整備されている。その一角に午砲台跡の碑がある。明治4年から昭和初年まで、ここから正午を知らせる大砲を撃った。土曜日は正午にドンと鳴ったら仕事が終わるので、「半ドン」と云ったという。

天守台は高さ18m、花崗岩で出来ている。この上に高さ51m、五層の天守閣が建っていたが、明暦3年(1657)の大火で全焼。保科正之の建言により、天守閣再建は取りやめられ、以後、江戸城に天守閣は再建されなかった。

F8.0 1/250 iso100
平川門
F8.0 1/125 iso100
不浄門
平川門は御殿女中が出入りした門で、別名お局門といわれる。絶大な権力を誇った春日局が、門限に間に合わず、この門前で夜を明かしたとの伝承がある。門前に架かる橋は、江戸時代のものの復元で、擬宝珠は城内から集められた。慶長19年、寛永元年などの年号が刻まれている。

平川門の脇に小さな門がある。不浄門である。不浄門は罪人や死人を城外へ出した門で、生きてこの門を出た者は、わずかに二人しかいない。ひとりは元禄14年(1701)の浅野内匠頭長矩であり、他の一人は正徳4年(1714)の大奥年寄絵島である。浅野内匠頭は即日切腹、絵島は信州高遠に流罪となった。

F8.0 1/500 iso100
旧近衛師団司令部(東京近代美術館)
F8.0 1/250 iso100
蕃書調所跡(九段会館)
乾門を出て北の丸に入ったところに、旧近衛師団司令部が建っている。煉瓦造りの美しい建物だ。また、清水門と田安門の間の牛ヶ渕に面して建っている九段会館は、蕃書調所の跡地に建てられた旧軍人会館である。

この二つの建物は、昭和の大事件2.26事件の舞台である。高橋是清蔵相などを襲撃した部隊は近衛歩兵第三連隊であった。また九段会館は当時軍人会館であったが、ここに反乱鎮圧の戒厳司令部が置かれた。昭和11年(1936)2月26日の東京は、大雪であった。


<デジタル派> ルミックスG1にペンF用ズイコー25mmを付けて


ルミックスG1とズイコー25mmF4

デジタル代表はルミックスG1に、オリンパスペンF用のズイコー25mmF4を付けた。
これで50mmの標準画角が得られる。

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F8.0 1/250 iso100
大手門とお堀の白鳥
F8.0 1/100 iso100
大手門
大手門は江戸城の正門である。堀に面した小さな門をくぐると、桝形虎口(マスガタコグチ)と呼ばれる四角形の空間があり、右手に重厚な渡櫓門が視野に飛び込んでくる。上部には弓鉄砲で攻撃出来る格子欄間が見える。勢い込んで押し寄せた敵は、この空間に閉じ込められ、前後左右から鉄砲を撃ちかけられるという仕組みだ。

F8.0 1/250 iso100 F8.0 1/160 iso100
百人番所 大番所
大手門をくぐると左手に百人番所が建っている。京都の三十三間堂を思わせる長大な建物だ。鉄砲百人組という伊賀、甲賀、根来の忍者の末裔と、二十五騎組という新しく組織された鉄砲組が交代で警備に当たった。中ノ門をくぐると右手に大番所。他の番所より格上の与力同心が詰めていた。

F8.0 1/100 iso100 F8.0 1/50 iso100
松の大廊下
大奥
元禄14年(1701)、忠臣蔵発端の浅野内匠頭刃傷の舞台だ。畳敷きの大廊下だったという。大奥の跡はカエデが多く、秋は紅葉してきれいだろうと思われる。

F8.0 1/40 iso100
井伊邸跡と桜の井
F8.0 1/320 iso100
井伊邸から見た桜田門
国会議事堂正面の道路を下り、少し左折したところにひっそりと井伊掃部頭屋敷跡がある。井伊家門前にあった桜の井が往年の名残だ。この屋敷跡から桜田門が見える。まさに指呼の間だ。安政7年(1860)3月3日、江戸は季節外れの大雪であった。

F8.0 1/200 iso100
和気清麻呂像

平川門の近くに建つ。昭和15年(1940)、
紀元2600年を記念して建てられた。
高村光雲の孫弟子にあたる佐藤清蔵の作。
F8.0 1/400 iso100
楠木正成像

外苑広場に二重橋に向かって建つ。
別子銅山を開いた住友家が寄贈。
高村光雲をリーダーに東京美術学校が
総力を挙げて取り組んだ。