銀塩とデジタルで撮る 新東京紀行

銀塩フィルムのカメラと、マイクロフォーサーズのルミックスを持って、東京の新名所を撮り比べる。画角をほぼ揃えて撮り比べると、懐かしさと共に技術の進歩が実感出来て興味は尽きない。

新東京紀行
東京スカイツリー 新宿御苑 都電荒川線 銀座 秋葉原 江戸城 神田川 東京の明治
夏の風物市

キャノンⅡSとルミックスG1を持って<神田川散歩>  2010.05.21,22,25

東京で川と言えば、隅田川、多摩川などが挙げられるだろうが、私にとっては神田川がまず頭に浮かぶ。生まれ育った町に、神田川が流れていたからだ。


「貴方はもう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして 二人で行った横町の風呂屋..」

昭和48年(1973)にヒットした南こうせつとかぐや姫の「神田川」が、この川を一躍全国的にした。2番の歌詞のさわりに、

「窓の下には神田川、三畳一間の小さな下宿......」とある。

若かったあの頃を思い出しながら、これも懐かしいキャノンを手に、神田川散歩を楽しんだ。

神田川は井の頭池に源を発し、善福寺川、妙正寺川を合わせて隅田川に注ぐ一級河川である。東京をほぼ東西に流れ、全域が開渠で、ほとんど全ての流路の川辺には、遊歩道が整備されている。             (図は中ノ橋際にある中野区の説明板より)


<銀塩派> CanonⅡSにCanon50mmF1.8を付けて
キャノンⅡS+キャノン50mmF1.8
キャノンⅡSは昭和29年(1954)、ⅣSbから1/1000を省略した普及版として登場した。それでも、当時の大卒初任給の6ヶ月分の価格で、十分に高級機であった。

神田川の上流は、キャノンの担当である。

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フィルムはFIJICOLOR100、現像とCDは45Digital Conびni西船橋店。
水門橋から見た井の頭池の水門 水門橋

神田川は井の頭池から流れ出る。井の頭池の東端、井の頭線井の頭公園駅のすぐ近くに、水門橋という小さな橋がある。ここが神田川の起点である。

源流のせせらぎ 夕やけ橋

井の頭線のガードをくぐると、水辺の遊歩道になる。神田川ではこのあたりだけが、水と遊べるようになっている。夕やけ橋を渡りしばらく進むと、井の頭線三鷹台の駅だ。川はしばらく井の頭線に沿って東南に流れる。

塚山橋 塚山遺跡

井の頭線高井戸駅の下で、環状8号道路をくぐり、しばらく行くと石造りの趣のある塚山橋が見えてくる。この橋の南側に塚山公園がある。ここから縄文中期の環状集落跡が見つかって、塚山遺跡として史跡指定されている。

この先の永福町で神田川は、大きく北に向きを変えて、井の頭線と離れていく。

橋名 井の頭池 水門橋 夕やけ橋 丸山橋 佃橋 塚山橋
最寄り駅 井の頭公園 三鷹台 高井戸

東京メトロ車庫 善福寺川(手前)と合流

栄橋で環状7号道路を潜る。右側に宏大な東京メトロの車庫が見えてくる。さらに進むと、途中で神田川に沿う道は行き止まりになり、直角に折れると善福寺川の和田広橋を渡る。ここから二つの川の合流地点が見える。2本とも川幅は同じぐらいだ。

月見橋から見た東京都庁 中間点の里程標

花見橋、月見橋は橋の上から東京都庁がよく見える。このあたりは遊歩道も、川の護岸も非常にきれいに整備されている。ともすればコンクリート打ちっ放しの護岸工事になりがちだが、この一角は美しいタイル模様で、川の水もきれいに見える。

気持ちよく歩いて行くと、中ノ橋に出る。神田川の中間点だ。里程標が建っていて、

 ←みなもと  12.1キロ
 →すみだがわ12.5キロ

と案内されている。神田川の全体図もこの近くにある。

橋名 妙風橋 栄橋 和田見橋 月見橋 中ノ橋
最寄り駅 (井の頭線と交差) 方南町 (善福寺川と合流)

かぐや姫の神田川の歌碑 末広橋から下流の東中野を望む

神田川は長者橋で山手通りを潜り、淀橋で青梅街道と交差する。大久保通りに架かる末広橋のたもとには、かぐや姫の「神田川」の歌碑がある。下流を見ると、東中野の日本閣の跡地に建った、2棟の高層マンションが見える。

落合水再生センターのせせらぎ公園 高田馬場

東中野駅で中央線を横切り、大東橋から神田上水公園の桜並木を歩き、小滝橋を渡ると、左に都営バスの車庫がある。私が幼かった終戦直後から、この車庫はここにあった。しばらく行くと落合水再生センターに着く。我が家がかってこの地にあった。当時は汚水処理場と言っていたが、水再生センターとは、いい名前を付けたものだ。

神田川は高田馬場で、山手線のガードをくぐる。いよいよ都心へ流れ込んでいく。

橋名 長者橋 淀橋 末広橋 大東橋 小滝橋 神高橋
最寄り駅 (山手通りと交差) 東中野 落合 高田馬場

妙正寺川(右)と合流 高戸橋を渡る荒川線

明治通りに懸かる高戸橋の手前で、妙正寺川と合流する。昔はもっと上流の落合付近で合流していたが、洪水対策の工事で流路が変更された。落合という地名は、神田川と妙正寺川の合流地点を表していたのだ。中央に開いているのは、高田馬場分水路だ。落合水再生センターで処理された下水や、増水時に流れ込んだ水の排出口である。

高戸橋は都営荒川線の撮影ポイントとして有名で、ここから目白台までまっすぐに線路が延びている。正面に見えるのは、池袋サンシャインビルだ。

魚道 山吹の里

妙正寺川と合流した神田川は、急に水量が多くなり流れも速くなる。高戸橋の東側には、段差を緩やかにした魚道が設けられていて、季節には鮎の遡上も見られるという。

面影橋のそばに山吹の里の碑がある。この一帯は太田道灌ゆかりの山吹の里の故地と伝えられ、この碑も、貞享3年(1686)に建てられた供養塔を利用して、刻まれたらしい。

一枚岩 関口芭蕉庵

面影橋から下流には、大きな板状の岩が川底から顔を見せている。一枚岩と呼ばれるが、流れに沿って刻まれたような縦の縞模様が、不思議な雰囲気を醸し出している。

駒塚橋を過ぎると、松尾芭蕉が住んだと言われる関口芭蕉庵。藤堂藩の神田川改修工事の工事監督として、この地に住んだらしい。早稲田田んぼを琵琶湖に見立てて呼んだ句。

五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋

橋名 高戸橋 曙橋 面影橋 豊橋 駒塚橋
最寄り駅 (妙正寺川と合流) 面影橋 早稲田


<デジタル派> ルミックスG1に14-45を25mm固定にして


ルミックスG1とG Vario14-45

デジタル代表はルミックスG1に、純正のG Vario14-45を25mmで固定して、キャノン50mmの画角に合わせた。芭蕉庵から神田川の下流を担当する。

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椿山荘の土塀 無茶庵

椿山荘は安藤広重の「名所江戸百景」に描かれた椿山を、明治の元勲山県有朋が別邸としたもので、2万坪の敷地にはホテルやレストランなどがあり、春の桜、夏の蛍など四季折々を楽しめる回遊式庭園になっている。神田川に面して冠木門が開いていて、利用客は庭園を自由に散策出来る。

冠木門を入ってすぐ左手の坂を登ると、無茶庵という蕎麦屋がある。蕎麦は手頃なお値段なので、庭園を散歩するには都合が良い。

三重塔 羅漢石

無茶庵の坂を登り切ったところに、この三重塔が建っている。小野篁誕生の地とされる広島県竹林寺から移設したもので、元は室町期の建立という。寛永寺、本門寺の五重塔とともに、東京には3塔しかない古塔である。また、庭内には羅漢石という石像が20体ある。伊藤若冲の下絵による五百羅漢の一部だそうだ。


大洗堰の碑 取水口の石柱

椿山荘を過ぎると江戸川公園になる。かって大滝橋近くに大洗堰があり、ここでせき止められた水は、神田上水となって江戸市民の飲料水になった。昭和41年(1966)までは、ここから上流を神田川、下流を江戸川と呼んでいた。従っていまでも江戸川公園、江戸川橋などという呼称が残っている。

大洗堰の図

江戸名所図絵に目白下大洗堰として描かれている。この頃は水量も豊富で、この堰でせき止められ、神田上水として江戸市民の飲料水に使われた。余った水は堰から落として、当時江戸川と呼ばれた川へ放水していた。

江戸川橋から飯田橋までは、神田川の上を首都高速5号線が走り、無粋な光景が続く。
飯田橋駅前で神田川は東に大きく向きを変え、外堀の水を合わせて水道橋へ向かう。

飯田橋駅前
神田川に架かる橋は、外堀通りと
駅前を渡す船河原橋という。
手前の外堀に架かる橋が飯田橋だ。
神田上水懸樋
水戸家の現後楽園からは、かなりの
上り勾配になっているが、当時と地形
が違っているのだろうか。

水戸屋敷跡の後楽園、トヨタ自動車東京本社、後楽園球場などを過ぎて、水道橋から外堀通りを登っていくと、神田上水懸樋の碑がある。神田上水は大洗堰から水戸屋敷に入り、水戸屋敷から木樋で白山通りを横切り、ここから懸樋で神田川を渡った。水道橋の由縁である。

お茶の水橋から 聖橋から

お茶の水は神田川流域で、最も風光明媚な場所であろう。お茶の水橋から聖橋を望むと、まるい円の中に地下鉄丸ノ内線が走っていくのが見える。聖橋からは川と電車のコントラストが、面白い。雨上がりで川の水が濁っているのが残念。



昌平橋から 万世橋から

昌平橋まで来ると、もうすぐ秋葉原だ。昌平橋から上流を見ると、左に中央線、川の上を総武線、そして遠くに地下鉄丸ノ内線が走る。3線が同時に交差する瞬間は、ダイナミックだ。

万世橋からは、赤煉瓦の旧万世橋駅が印象的だ。ここに平成18年(2006)まで交通博物館があった。

浅草見附跡 浅草橋から

浅草橋のたもとに浅草見附跡がある。江戸時代は日光街道の要所で、寛永寺への参道でもあったために、浅草御門が置かれ、番士が詰めていた。

左衛門橋を過ぎたあたりから、神田川には屋形船が多く繫留されている。船遊びで賑わう粋な町だ。

柳橋 隅田川へ

柳橋は元禄年間に架けられたという。橋のたもとに柳が植えられている。吉原へ向かう猪牙船が、多くこの河岸から繰り出した。いまでも、わずかながら往年の雰囲気を、ただよわせている町である。現在の橋は、関東大震災の後に架けられた鉄製の橋で、面白い形をしている。橋のたもとに子規の句碑が建っている。

春の夜や 女見返る 柳橋    子規

起点の水門橋から数えて140番目の橋が、神田川最後の柳橋である。この橋を過ぎると、もうすぐに隅田川に合流する。隅田川の右手に架かる赤い橋脚の橋は、両国橋だ。

橋名 大滝橋 江戸川橋 船河原橋 水道橋 お茶の水橋 聖橋 万世橋 柳橋
最寄り駅 江戸川橋 飯田橋 水道橋 お茶の水 秋葉原 浅草橋